土岐多良庄(読み)ときたらのしよう

日本歴史地名大系 「土岐多良庄」の解説

土岐多良庄
ときたらのしよう

鎌倉期からみえる庄園で、牧田まきだ川流域の多良地区・とき地区に比定される。時多良・止岐多良・時多郎とも書く。「神鳳鈔」に内宮領止岐多良御厨とみえ、詳細は不明だが平安末期までには伊勢神宮領になっていたことが確認できる。鎌倉期になって当地国衙や武士勢力の進出を受け、建久三年(一一九二)八月日の伊勢神宮神主請文(写、神宮文庫蔵)によれば「件御厨雖為往古建立、近代依国妨、不勤供祭上分也」という状況であった。「吾妻鏡」建久元年四月一八日条によれば、時多良山の地頭玄蕃助蔵人(藤原)仲経が神事に従わないと国衙の在庁官人たちから院へ訴えられ、源頼朝は院の仰せを受け、同日付の下文によって恒例の仏神役の勤仕を仲経に命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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