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土御門内裏 ツチミカドダイリ

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デジタル大辞泉の解説

つちみかど‐だいり【土御門内裏】

京都土御門大路の南、烏丸の西にあった里内裏
土御門大路の北、東洞院大路の東にあった里内裏。元弘元年(1331)光厳天皇が皇居と定めてから北朝歴代の皇居となった。現在の京都御所の地。土御門東洞院内裏。土御門殿

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大辞林 第三版の解説

つちみかどだいり【土御門内裏】

平安京土御門の南、鷹司の北にあった鳥羽・崇徳・近衛三天皇の里内裏。大内裏を模した最初の里内裏という。1148年焼失。

出典|三省堂
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世界大百科事典内の土御門内裏の言及

【皇居】より

…しかし1336年(延元1∥建武3)富小路内裏が戦火により焼亡し,後醍醐天皇が吉野に南遷するや,北朝では持明院統に伝領された土御門(つちみかど)東洞院殿を歴代の皇居とした。
[京都御所]
 この土御門内裏は戦国時代の荒廃を耐えぬいて,織田信長,豊臣秀吉の修営工事により拡張整備され,さらに江戸時代に入って,将軍徳川秀忠の女和子の入内を機に大規模な増築工事が行われ,中世的な里内裏から近世的な御所へ脱皮した。この御所はその後数度の火災に遭ってそのたびに再建されたが,1790年(寛政2)の造営に当たっては,総奉行松平定信が紫清両殿以下の表向き殿門の古制復興に努めた。…

【里内裏】より

…しかし閑院再建の望みは消滅せず,ようやく1317年(文保1)幕府の資力により閑院内裏を模して富小路殿が新造され,花園,後醍醐2代の皇居となった。この富小路殿も1336年(延元1∥建武3)戦火により焼亡し,後醍醐天皇が吉野に南遷した後は,持明院統に伝領された土御門東洞院殿が北朝歴代の皇居となり,土御門内裏として定着した。そして織田信長,豊臣秀吉の拡張修営を経て江戸時代に入り,中世的な里内裏から近世的な御所へと面目を一新し,京都御所が誕生した。…

※「土御門内裏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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