土御門内裏(読み)ツチミカドダイリ

大辞林 第三版の解説

平安京土御門の南、鷹司の北にあった鳥羽・崇徳・近衛三天皇の里内裏。大内裏を模した最初の里内裏という。1148年焼失。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

精選版 日本国語大辞典の解説

[一] 京都土御門大路の南、烏丸の西にあった、鳥羽、崇徳、近衛三天皇の里内裏。永久五年(一一一七)造営。大内裏を模して建造された最初の里内裏。久安四年(一一四八)焼亡。
※台記‐康治元年(1142)九月二〇日「己酉、帝幸土御門内裏云々」
[二] 京都土御門大路の北、東洞院の東に位置する御所。明徳三年(一三九二)南北朝合一に際して内裏とされ、今日の京都御所となる。土御門東洞院殿。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

世界大百科事典内の土御門内裏の言及

【皇居】より

…しかし1336年(延元1∥建武3)富小路内裏が戦火により焼亡し,後醍醐天皇が吉野に南遷するや,北朝では持明院統に伝領された土御門(つちみかど)東洞院殿を歴代の皇居とした。
[京都御所]
 この土御門内裏は戦国時代の荒廃を耐えぬいて,織田信長,豊臣秀吉の修営工事により拡張整備され,さらに江戸時代に入って,将軍徳川秀忠の女和子の入内を機に大規模な増築工事が行われ,中世的な里内裏から近世的な御所へ脱皮した。この御所はその後数度の火災に遭ってそのたびに再建されたが,1790年(寛政2)の造営に当たっては,総奉行松平定信が紫清両殿以下の表向き殿門の古制復興に努めた。…

【里内裏】より

…しかし閑院再建の望みは消滅せず,ようやく1317年(文保1)幕府の資力により閑院内裏を模して富小路殿が新造され,花園,後醍醐2代の皇居となった。この富小路殿も1336年(延元1∥建武3)戦火により焼亡し,後醍醐天皇が吉野に南遷した後は,持明院統に伝領された土御門東洞院殿が北朝歴代の皇居となり,土御門内裏として定着した。そして織田信長,豊臣秀吉の拡張修営を経て江戸時代に入り,中世的な里内裏から近世的な御所へと面目を一新し,京都御所が誕生した。…

※「土御門内裏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

今日のキーワード

ソーシャル・ディスタンシング

感染症の予防戦略の一つで、有効な治療薬や予防薬などがない重大な感染症が国や地域に侵入した場合に、人の移動や社会・経済活動に制限を加えて、人同士の接触を減らす取り組みのこと。例えば、学校・保育施設の一時...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android