日本歴史地名大系 「土気往還」の解説 土気往還とけおうかん 千葉県:総論土気往還内房と外房を結ぶ道の一つで、房総往還の登戸(のぶと)村(現千葉市中央区)から分岐して大網(おおあみ)村(現大網白里町)に至る道。登戸村―寒川(さんが)村(現中央区)―千葉町(現中央区)―野田(のだ)村(現同市緑区)―土気町(現同上)―大網村の道筋。土気町―大網間は幾筋かの道がとられた。大網村から富田(とみだ)村―柿餅(かきもち)村―柳橋(やなぎばし)村(以上現大網白里町)を経て九十九里浜に通じる新道が開かれた。また土気町から本納(ほんのう)村(現茂原市)方面に向かう道筋もある。往還筋では千葉町・大網村が継立場であったほか、鎌取(かまとり)村(現緑区)が立場、野田村・土気町が継立場であり、寛政一〇年(一七九八)野田村は東金御成街道筋の中野(なかの)村(現千葉市若葉区)と荷継ぎ争論となるが、その際の訴状(森田家文書)に「御成道土気往還」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by