日本歴史地名大系 「本納村」の解説 本納村ほんのうむら 千葉県:茂原市本納村[現在地名]茂原市本納上吉井(かみよしい)村の東に位置し、村の西部に丘陵を背負い、東部は平坦な耕地が広がる。南北に大網(おおあみ)村(現大網白里町)から茂原町へ向かう通称房総東街道が通り、街道両側に沿って集落が形成されている。上総国二宮とされる橘樹(たちばな)神社があり、戦国期に登場する本納城があった。現大網白里(おおあみしらさと)町の正法(しようぼう)寺が所蔵する享禄二年(一五二九)某月二八日在銘の鰐口に「上総国弐宮壮(ママ)本納幡大明神」とみえる。本納は橘木(たちばな)庄(二宮庄)の付属地の意である加納に対し、本来の庄地の意から出た地名と考えられ、同庄の中心地域とみられる。永禄二年(一五五九)九月七日の棟札銘(本興寺文書)に「本納寺」「本納大工岩崎隼人治定」とみえる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に本納村とみえ、高二千八〇〇石。慶長一六年(一六一一)の三河上宮(じようぐう)寺(現愛知県岡崎市)の御堂勧進に際し、「上総佐貫」分のうちとして「下総本納」の浄慶が紅三〇目を寄付しているが(三河上宮寺勧進帳)、これは当地をさすのであろう。同年の万石御縄打水帳之寄(石井家文書)によれば、当村は田方一八〇町九反余、畑方・屋敷八四町四反余、分米二千五八四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by