土気町(読み)とけまち

日本歴史地名大系 「土気町」の解説

土気町
とけまち

[現在地名]緑区土気町

高津戸たかつど村の東にあり、上総国山辺やまべ郡に属した。内房と外房のほぼ中央に位置し、土気往還により結ばれる。中世には土気城を拠点とした酒井氏がおり、本寿ほんじゆ寺などの顕本法華宗の中心となった。近世には土気本郷・土気町・土気村などとみえるが、元禄七年(一六九四)幕府代官より名主宛に国絵図に土気町と記載されていることを確認したので今後は土気町を用いるよう他領近郷にも触回すよう命があった(小川家文書)元禄郷帳・天保郷帳でも土気町。中世には土気郡・度解郡とみえ、郷村を含む中世的郡が成立していたが、戦国期には酒井氏の拠点となる土気城が築かれた。永禄八年(一五六五)と推定される二月一八日の酒井胤治書状写(河田文書)にみえる宿城しゆくじろは現在いう三の丸から城外にかけての一帯で、台地上の城下集落であった。同二年九月七日の本興ほんこう寺棟札銘には「土気之大工」とみえる。さらに天正期(一五七三―九二)には城郭の大幅な改造があったとされており、これに伴い城下集落としての町並が形成されたと考えられる。土気本郷は城下集落として完成される天正末期までは土気郷の一部であったが、天正一八年の土気城の廃絶とそれに伴う城下集落の性格の変化により、旧土気郡内の中心的町場へと転化し、本郷の称がついたのではあるまいか。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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