地之島村(読み)じのしまむら

日本歴史地名大系 「地之島村」の解説

地之島村
じのしまむら

[現在地名]宗像地島じのしま

鐘崎かねざき村の北西海上一里ほどの所に位置する地島にある。西方おお(現大島村)。島は東西八町余・南北一五町、周囲一里一八町余(地理全誌)。北に標高一四二メートルの山と南に遠見とおみ(一八六メートル)が連なり、人家は北部の白浜しらはま(現字豊岡)と南部のとまりにある(続風土記拾遺)。地島南東端とかねノ岬の間の暗礁地島曾根じのしまそねという。海中に井手状に海嶺が連なるもので、潮の干満の時、渓流の激湍に似るといわれ船舶航行の難所であった。

中世には「小島」・泊島ともよばれた。建武元年(一三三四)三月二〇日の雑訴決断所牒(宗像社家文書惣目録/宗像大社文書二)に「小嶋」がみえる。同牒には「息御嶋・大嶋」(現大島村)もみえるので、「小嶋」は地島に比定され、宗像社の社領として安堵されたと考えられる。貞和三年(一三四七)五月一〇日、大宮司宗像氏範の子息氏俊が南朝方水軍の「大嶋・小嶋」への来襲を報じたので、翌一一日九州探題一色道猷(範氏)は深堀時広らに馳参を命じている(「一色道猷軍勢催促状」深堀文書/南北朝遺文(九州編)二など)。地島は宗像氏の水軍の根拠地の一つであった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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