日本歴史地名大系 「地御前神社」の解説
地御前神社
じごぜんじんじや
厳島対岸の海浜にあり、
仁安三年(一一六八)一一月日付の伊都岐島社神主佐伯景弘解(「史料通信叢誌」第壱編厳島誌所収文書)によれば、佐伯景弘が国司重任遷任の功を募り、厳島本宮および外宮の造営を太政官に申請している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
厳島対岸の海浜にあり、
仁安三年(一一六八)一一月日付の伊都岐島社神主佐伯景弘解(「史料通信叢誌」第壱編厳島誌所収文書)によれば、佐伯景弘が国司重任遷任の功を募り、厳島本宮および外宮の造営を太政官に申請している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…中世末に本宮棚守職の棚守房顕が大内・毛利氏と結んで権勢を持ち,供僧を率い弥山(みせん)を管理した大聖院や社殿の修理造営権を握った大願寺とともに近世まで神社の諸事を統轄した。祭礼は春秋の例祭のほか,旧6月17日夜対岸の地御前(じごぜん)神社(外宮)に渡御する管絃祭,旧7月18日の玉取祭などがある。また平安時代以来の舞楽が奉納され,お島巡り(お烏喰(おとぐい))式も伝存する。…
※「地御前神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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