地蔵堂山城跡(読み)じぞうどうやまじようあと

日本歴史地名大系 「地蔵堂山城跡」の解説

地蔵堂山城跡
じぞうどうやまじようあと

[現在地名]安佐北区高陽町玖

久村くむら城ともいう。太田おおた川と三篠みささ川の合流点の東側で、諸木もろき川と岩上いわのうえ川に挟まれた小丘陵群の一にあった。太田川対岸が香川氏の居城八木やぎ(跡地は現安佐南区)、諸木川を挟んだ北側が恵下山えげやま城である。

「郡中国郡志」は「城主久村玄蕃殿申伝候、何代相続哉ノ義相知不申候、天文ノ頃八木村香川殿ニ戦負当時退転ノ由申伝候共、委敷義相知不申候」としている。大永七年(一五二七)七月晦日、武田軍と大内・大友連合軍の間で攻防戦があり(黄薇古簡集ほか)、天文一五年(一五四六)正月、大内氏に帰順して久村を安堵されていた城主久村玄蕃允繁安が香川光景の攻撃に失敗し、備後へ遁走したが、結局同二〇年に光景のために殺されたと伝える(陰徳太平記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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