日本歴史地名大系 「地頭所村」の解説 地頭所村じとうしよむら 鹿児島県:加世田市地頭所村[現在地名]加世田市地頭所・本町(ほんちよう)村原(むらはら)村の西に位置し、西流する万之瀬(まのせ)川は村の北端で北へ蛇行する。幕末頃の加世田再撰史(加世田市立郷土資料館蔵)によると、当地は加世田地頭(加世田別符の地頭か)の役料高となったことにより地頭所と唱えるようになったといわれ、地頭居屋敷跡が近世の加世田郷地頭仮屋の北方一三町二六間の地にあると記される。中世は加世田別符のうちに含まれる。永和元年(一三七五)一〇月一日の加世田別符半分坪付注文(島津家文書)に伊作島津氏の知行地として「ちとうしよいちをくわへたる定」とみえ、当地に市場が開かれていた可能性がある。 地頭所村じとうしよむら 島根県:邑智郡邑智町地頭所村[現在地名]邑智町地頭所江川支流の君谷(きみだに)川東岸に位置し、北は久喜原(くきばら)村。鎌倉初期に出羽氏が当地を拠点として君谷氏を称し、地頭所を置いたのが村名の由来という。元禄一〇年(一六九七)の石見銀山領村々覚によれば田方一〇八石余・畑方五五石余、年貢高は米六七石余・銀四四二匁、家数は本家三二・門屋三一、人数二二二、禅宗玉泉(ぎよくせん)寺(現曹洞宗)・真宗西方香光(こうこう)寺(現浄土真宗本願寺派)と八幡宮がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by