坂上明兼(読み)さかのうえのあきかね

改訂新版 世界大百科事典 「坂上明兼」の意味・わかりやすい解説

坂上明兼 (さかのうえのあきかね)
生没年:1079-1147(承暦3-久安3)

平安末期の法曹官僚。坂上範政の子で,法家坂上家の家学の基礎を築いた。もと中原朝臣,晩年坂上宿禰(すくね)に復す。検非違使左衛門志に任じ,明法博士大判事を兼ねた。白河鳥羽院政期,土地所有や売買貸借をめぐる訴訟激増の中で,公私の訴訟裁決に法曹家として活躍した。その著《法曹(ほつそう)至要抄》は彼の法曹活動の集成であり,古代律令法の解釈改変の中から,結果的に新たな法体系を形成したものであった。
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関連語 棚橋

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「坂上明兼」の解説

坂上明兼 さかのうえの-あきかね

1079-1147 平安時代後期の官吏
承暦(じょうりゃく)3年生まれ。永久元年ごろ明法(みょうぼう)博士となり,のち刑部省(ぎょうぶしょう)大判事などをかねる。白河・鳥羽(とば)院政期の訴訟裁決に活躍し,法家坂上家の基礎をきずいた。「法曹(ほっそう)至要抄」の著者ともいわれる。久安3年10月29日死去。69歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坂上明兼」の意味・わかりやすい解説

坂上明兼
さかのうえのあきかね

[生]?
[没]久安3(1147).10.29.
平安時代末期の明法家。明法博士坂上範正の子。五位,大判事,明法博士。『法曹至要抄』はその著といわれる。 (→坂上氏 )

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世界大百科事典(旧版)内の坂上明兼の言及

【法曹至要抄】より

…院政期から鎌倉初期の法律書。著者としては坂上明兼説とその孫坂上明基説の2説があるが,明兼のとき原型ができ,明基のときまでに微細な修補が加えられたものと思われる。上・中・下の3巻で,罪科条(公罪)62項,禁制条(服色・過差等禁制)14項,売買・負債・出挙・借物・質物・預物各条(売買貸借法)23項,荒地条(土地所有権法)3項,雑事条17項,処分条(相続法)17項,喪服・服仮各条28項,雑穢条(触穢法)13項,総計177項から成る。…

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