出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大学寮で明法道を教授する教官。大宝律令の制定直後に一般官人や大学寮の学生(がくしょう)に律・令を教授する明法博士があったが,728年(神亀5)大学寮での正規の教官として律学博士が設置された。定員は2人で相当位階は正七位下。律学博士は唐の官名そのままだったが,同時におかれた明法生,および彼らの任官試験の名称の明法試から,明法博士の呼称が一般化したものであろう。799年(延暦18)には大宰府にもおかれ,825年(天長2)に相当位階が従七位下と定められた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…その後,博士は文章(もんじよう)博士,紀伝博士(のち停止し,文章博士を加置),明経(みようぎよう)博士に分かれ,さらに律学博士(のち明法(みようぼう)博士)がおかれた。平安中期以降,明経博士は清原,中原家,文章博士は菅原,大江,日野家,明法博士は坂上,中原家,算博士は三善,小槻家が主として任ぜられ,家業となった。なお,近代の学位の博士(はくし)については〈学位〉の項目を参照されたい。…
…古代法【石母田 正】
[研究史]
律令条文の解釈・研究は,701年(大宝1)に大宝律令が施行された直後からはじめられている。すなわち,その年から翌年にかけて,藤原不比等(ふひと)をはじめとする編纂者たちは,明法博士(みようぼうはかせ)または令官(りようかん)として,分担して律令条文を講説し,また解釈を治定した。その後は専門学者が令師(りようし)として解釈の治定にあたったが,728年(神亀5)に大学のなかに律令学者の養成機関としての明法科が設けられると,律令の研究もさかんとなり,738年(天平10)ころには大宝令の私的注釈書〈古記〉が生まれた。…
※「明法博士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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