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明法博士 みょうぼうのはかせ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明法博士
みょうぼうのはかせ

奈良時代におかれた律令格式を教授する官職名。唐の国子監に設置された律学博士に相応する。奈良・平安時代における明法博士には,最も優秀な人物が選抜され,帰化系氏族に属する人々が多かった。これは彼らが幼時から漢籍に親しみ,律令を理解しやすかったからと思われる。奈良・平安時代を通じて,明法博士の職掌は次第に拡張され,朝廷において随時開かれる律令講書会の講師をつとめ,また朝廷,権門の諮問に応じて,『明法勘文』という擬律の書を提出することなども含まれるにいたった。さらにこの職と兼ねて検非違使の次・判官,刑部省大判事,勘解由使などの勢官に任じられる者が相次ぎ,その権威はきわめて高いものとなった。明法博士にして刑部省大判事を兼ねる者がこの職の極官と考えられた。平安末以降,学問世襲化の現象に伴い博士の職も,中原,坂上両家の世職となり,この職は「明法道之極官」とされたが,依然としてその職をうることはむずかしく,非器,すなわち無能な者はたとえ嫡系であっても除目の席上で排除されることがあった。近世にあっては,上記両家の支流,町口・勢多・平田などの諸家が,これに任じられたが,その学識ははなはだしく低下し,講義にたえないほどになった。しかし,なお本官を帯びる者をもって,法学の最高権威者とする考えは明治初年まで続き,江戸時代においても明法勘文の提出は形式的には行われていた。最後の明法博士は,明治の後半,『古事類苑』の編纂に関係した勢多章甫

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デジタル大辞泉の解説

みょうぼう‐はかせ〔ミヤウバフ‐〕【明法博士】

明法道教官。平安中期以降は、坂上・中原両家の世襲となった。

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大辞林 第三版の解説

みょうぼうはかせ【明法博士】

明法道の教官の長。

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世界大百科事典内の明法博士の言及

【博士】より

…その後,博士は文章(もんじよう)博士,紀伝博士(のち停止し,文章博士を加置),明経(みようぎよう)博士に分かれ,さらに律学博士(のち明法(みようぼう)博士)がおかれた。平安中期以降,明経博士は清原,中原家,文章博士は菅原,大江,日野家,明法博士は坂上,中原家,算博士は三善,小槻家が主として任ぜられ,家業となった。なお,近代の学位の博士(はくし)については〈学位〉の項目を参照されたい。…

【律令法】より

古代法【石母田 正】
[研究史]
 律令条文の解釈・研究は,701年(大宝1)に大宝律令が施行された直後からはじめられている。すなわち,その年から翌年にかけて,藤原不比等(ふひと)をはじめとする編纂者たちは,明法博士(みようぼうはかせ)または令官(りようかん)として,分担して律令条文を講説し,また解釈を治定した。その後は専門学者が令師(りようし)として解釈の治定にあたったが,728年(神亀5)に大学のなかに律令学者の養成機関としての明法科が設けられると,律令の研究もさかんとなり,738年(天平10)ころには大宝令の私的注釈書〈古記〉が生まれた。…

※「明法博士」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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