坂尾村(読み)さんごむら

日本歴史地名大系 「坂尾村」の解説

坂尾村
さんごむら

[現在地名]若葉区大宮町おおみやちよう太田町おおたちよう

長峯ながみね村とは村域が入組み、古くから村絵図は一紙としており、延宝五年(一六七七)頃に長峯村から公的に分村したと考えられる。千葉氏の家臣坂尾五郎治が居城したという栄福寺えいふくじ館の跡があり、北西宿しゆくという地名がある。約二〇〇メートルほど南西には複数の郭がみられる城山しろやま城跡がある。分村以後は佐倉藩領として推移幕末に至る。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一千一九石余。元禄郷帳に「サンガヲ」の訓がある。延享三年(一七四六)の村明細帳(林家文書)によれば、上坂尾村五八九石余・下坂尾村四二九石余と二分され、反別は合せて田七五町三反余・畑四九町五反余で反取法、津出しは寒川さんが(現中央区)出し、堰二・水門一・高札場一・郷蔵二・溜池三があり、家数は名主二・組頭七・本百姓九一・水呑七・門屋一八・寺五・堂四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報