坂崎村(読み)さかざきむら

日本歴史地名大系 「坂崎村」の解説

坂崎村
さかざきむら

[現在地名]幸田町坂崎

村域の東南が開け、西北山地である。東は長嶺ながみね村と久保田くぼた村、南は高力こうりき村・大草おおくさ村と耕地が各々交錯して接する。西は上地うえじ(現岡崎市)、北は馬頭ばとう(現岡崎市)と各々山で接する。菱池ひしいけ沼東部に位置し、縄文時代の遺物が若干出土されている。前期古墳に前方後円墳の青塚あおづか古墳があり、後期古墳は久保田の山麓と青塚古墳付近の台地上の端に集中し坂崎古墳群と称され、日本武尊伝説がある。ちなみに長嶺村の三村さんそん神社の主神は日本武尊である。村域に皇子田おうじだ皇子おうじいり神宮司じんぐうじなどの小字が残る。

中世末期には長嶺・久保田を含めて坂崎郷と称した。交通の要地でもあり、陸路は深溝―岡崎道が村域内を通る。菱池沼の水運との関係を推定させる小字として船附ふなつき大江おおえなどが残る。坂崎の地名は、文明一六年(一四八四)如光弟子帳(上宮寺文書)に「坂崎一箇所 修理亮・法蔵坊・浄光」とある。浄光については、蓮如御文帖(本願寺文書)外第四一通に「三河国サカサキノ修理助入道浄光」とあり、上宮じようぐう(現岡崎市)末寺道場が坂崎の地に置かれていたことがわかる。

坂崎村
さかざきむら

[現在地名]磯部町坂崎

的矢まとや湾の湾奥、伊雑いぞうノ浦の南岸にあり、湾を隔てて北岸に井浜いばま村がある。永承五年(一〇五〇)二月七日の荒木田某寄進状写(徴古文府)に「在志摩国答志郡坂崎東地并塩浜者 四至東限大浦 南限山峯 西限水谷尾 北限海 右件地、元者磯部松春所領也」とあり、この地は天喜二年(一〇五四)の石部松春畠地等売券(徴古文府)によれば田地一町、畠地五段八〇歩余、塩浜三町からなっている。磯部松春相伝の所領であったものをある時期四位大夫に売却、その子孫から長保四年(一〇〇二)荒木田氏貞が買得し、内宮の神宮司である荒木田氏に伝領され、神宮経済のなかに組込まれている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報