荒木田氏(読み)あらきだうじ

改訂新版 世界大百科事典 「荒木田氏」の意味・わかりやすい解説

荒木田氏 (あらきだうじ)

伊勢皇大神宮に禰宜(ねぎ)として奉仕した神主家。中臣氏と同系で大鹿島命の孫天見通命(あまのみとおしのみこと)を祖とする。一族は度会郡大貫に本拠をもち,景行朝に大貫連,成務朝に荒木田神主の姓を賜ったと伝えられる。7世紀後半ごろの首麻呂のころから荒木田を脱し単に神主と称していたが,879年(元慶3)に子孫の訴えにより荒木田神主の本姓に復した。首麻呂の孫の代に,佐禰麻呂の系統を一門,田長の系統を二門とする2派にわかれ,本拠をそれぞれ度会郡小社曾根,田辺(おのおの現在の玉城町)に移した。正員禰宜になる家は重代家,神宮家とよばれ,一門では薗田・井面(いのも)・沢田,二門では世木(せぎ)・納米(なじめ)・藤波中川・佐八(そうち)の諸家があった。1871年(明治4)の神宮制度改正まで世襲をつづけた。またこの氏からは《永正記》を著した守晨(もりとき)(1466-1516)や,連歌・俳諧作者の守武,国学者の久老・久守父子や末寿(すえほぎ)(1764-1828)など多くの学者・文人が出ている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「荒木田氏」の意味・わかりやすい解説

荒木田氏
あらきだうじ

伊勢(いせ)の皇大神宮(こうたいじんぐう)(内宮(ないくう))の禰宜(ねぎ)、権禰宜(ごんねぎ)を1871年(明治4)まで専任した氏。豊受大神宮(とようけだいじんぐう)(外宮(げくう))は別の度会(わたらい)氏が専任。皇大神宮鎮座のとき天見通命(あめのみとおしのみこと)が任ぜられて以降、その子孫が任ぜられることとなり、景行天皇(けいこうてんのう)のとき、その居所の地名にちなんで大貫連(おおぬきのむらじ)の姓を賜い、成務天皇(せいむてんのう)のとき、御饌料田(みけりょうでん)として墾田(あらきだ)を奉ったことで荒木田神主姓を賜ったという。もと伊勢国度会郡城田(きだ)村(三重県伊勢市)、外城田(ときだ)村(玉城(たまき)町)付近を本拠とし、そこに氏神祭、山宮祭の跡地を残すが、中世以降、内宮近くの宇治に移った。早くより、一門、二門に分かれ、禰宜、権禰宜のほか内人(うちんど)、物忌(ものいみ)まで一族で占めたが、一門で沢田、薗田(そのだ)、井面(いのも)、二門で藤波、中川、世木(せぎ)、佐八(そうち)家が栄えた。

[鎌田純一]


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百科事典マイペディア 「荒木田氏」の意味・わかりやすい解説

荒木田氏【あらきだうじ】

伊勢神宮の内宮(ないくう)に仕えた家。歴代禰宜(ねぎ),内人(うちんど)として務め,明治に及ぶ。荒木田神主(かんぬし)と称し,天見通(あまのみとおし)命の裔(すえ)という。薗田,沢田,藤波,中川,佐八(そうち)などの諸家に分かれる。《永正記》を著した荒木田守晨(もりとき),連歌・俳諧作者の荒木田守武,国学者の荒木田久老(ひさおゆ)らがいる。
→関連項目社家度会氏

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「荒木田氏」の意味・わかりやすい解説

荒木田氏
あらきだうじ

伊勢皇大神宮鎮座以来,内宮の禰宜 (ねぎ) ,権禰宜を世襲した氏族江戸時代には,この一族から国学者が多く出た。明治にいたって男爵を授けられた。

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世界大百科事典(旧版)内の荒木田氏の言及

【大物忌】より

…神事をつかさどるのにふさわしい浄らかな身心であるためにこの名がある。鎮座の当時から,荒木田氏の童女がこれにあたった。中世以降は子良(こら)とも称し,馬瀬村下野村在住の権禰宜(ごんのねぎ)家である荒木田系の子女を時の大物忌父(おおものいみのちち)の養女として奉仕させた。…

※「荒木田氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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