朝日日本歴史人物事典 「坪井信良」の解説
坪井信良
生年:文政6.8.28(1823.10.2)
幕末明治期の蘭方医。越中国(富山県)高岡生まれ。佐渡養順の次男。幼名は末三郎,字は良益,のちに信良,号は柊里,初白。天保11(1840)年京都の小石元瑞に,のち江戸で坪井信道,大坂で緒方洪庵に医学を学んだ。弘化1(1844)年9月坪井信道の養子となった。福井藩主松平春岳の侍医兼藩校の教師,幕府の蕃書調所教授補を経て,元治1(1864)年幕府の奥医師,次いで法眼となった。明治7(1874)年12月東京府病院長に就任し,10年に退官。6年11月わが国で最初の医学雑誌『和蘭医事雑誌』を創刊し,8年12月までに43号を発刊した。訳書に『カンスタット内科書』『新薬百品考』がある。<参考文献>斎藤祥男『蘭医家坪井の系譜と芳治』
(深瀬泰旦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報