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小石元瑞 こいし げんずい

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美術人名辞典の解説

小石元瑞

江戸後期の医者。京都生。元俊の子。名は龍、檉園・蘭斎・拙翁と号する。父の家塾究理堂を継ぎ、漢・蘭の両法を教え、洛中の名医と称された。また詩文に長じ、頼山陽・田能村竹田篠崎小竹らと親交した。嘉永2年(1849)歿、67才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

小石元瑞 こいし-げんずい

1784-1849 江戸時代後期の医師。
天明4年11月20日生まれ。小石元俊の子。江戸で大槻玄沢,杉田玄白らにまなぶ。父の私塾究理堂をつぎ,新宮凉庭(りょうてい)とともに京都の二大蘭方医といわれる。頼山陽,田能村竹田(たのむら-ちくでん)らとも交遊した。嘉永(かえい)2年2月10日死去。66歳。京都出身。名は竜。号は拙翁,檉園など。著作に「東西医説析義」「薬性摘要」など。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

小石元瑞
こいしげんずい
(1784―1849)

江戸後期の蘭医(らんい)。父は元俊(げんしゅん)。京都で出生。名は龍、字(あざな)は元瑞、(せいえん)、蘭斎、秋巌(しゅうがん)仙史、拙翁と号す。1799年(寛政11)父に従い江戸に行き、杉田玄白、大槻玄沢(おおつきげんたく)らから蘭方を学び、帰京後、究理堂を継ぎ、塾「龍門楼」で医生を7階級に分けて指導した。当時、新宮凉庭(しんぐうりょうてい)とともに京都の二大医家と称された。空論を排し、とくに内科に詳しかった。好人物で気概があり、皆川淇園(きえん)に漢学を学び、慈雲(飲光(おんこう))に参禅もした。篠崎小竹(しのざきしょうちく)、頼山陽(らいさんよう)、田能村竹田(たのむらちくでん)、茶道千家ら名士学者との往来が多かった(そのほとんどが元瑞の患者でもあった)。50歳で隠居し、著述に専念、嘉永(かえい)2年2月10日没。墓所は京都市北区大徳寺町大徳寺塔頭(たっちゅう)孤篷庵(こほうあん)。著作に『東西医説析義』『梅毒秘説』『薬性摘要』『蘭訳分量考』『西説痘瘡記聞(とうそうきぶん)』『究理堂備用方符』『処治録』のほか、詩文稿、随筆、茶・香に関するものなど多数がある。[末中哲夫]
『山本四郎著『小石元俊』(1967/新装版・1989・吉川弘文館) ▽京都府医師会医学史編纂室編『京都の医学史』(1980・思文閣出版)』

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