小石元瑞(読み)こいしげんずい

精選版 日本国語大辞典 「小石元瑞」の意味・読み・例文・類語

こいし‐げんずい【小石元瑞】

  1. 江戸後期の蘭医。元俊の子。名は龍。号檉園(ていえん)京都の人。杉田玄白大槻玄沢らに学び、京都で究理堂を継いで名声を得る。頼山陽などと交わり、文章をよくした。著に「窮理堂方府」「檉園随筆」など。天明四~嘉永二年(一七八四‐一八四九

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「小石元瑞」の意味・わかりやすい解説

小石元瑞
こいしげんずい
(1784―1849)

江戸後期の蘭医(らんい)。父は元俊(げんしゅん)。京都で出生。名は龍、字(あざな)は元瑞、檉園(せいえん)、蘭斎、秋巌(しゅうがん)仙史、拙翁と号す。1799年(寛政11)父に従い江戸に行き、杉田玄白、大槻玄沢(おおつきげんたく)らから蘭方を学び、帰京後、究理堂を継ぎ、塾「龍門楼」で医生を7階級に分けて指導した。当時、新宮凉庭(しんぐうりょうてい)とともに京都の二大医家と称された。空論を排し、とくに内科に詳しかった。好人物で気概があり、皆川淇園(きえん)に漢学を学び、慈雲(飲光(おんこう))に参禅もした。篠崎小竹(しのざきしょうちく)、頼山陽(らいさんよう)、田能村竹田(たのむらちくでん)、茶道千家ら名士学者との往来が多かった(そのほとんどが元瑞の患者でもあった)。50歳で隠居し、著述に専念、嘉永(かえい)2年2月10日没。墓所は京都市北区大徳寺町大徳寺塔頭(たっちゅう)孤篷庵(こほうあん)。著作に『東西医説析義』『梅毒秘説』『薬性摘要』『蘭訳分量考』『西説痘瘡記聞(とうそうきぶん)』『究理堂備用方符』『処治録』のほか、詩文稿、随筆、茶・香に関するものなど多数がある。

[末中哲夫]

『山本四郎著『小石元俊』(1967/新装版・1989・吉川弘文館)』『京都府医師会医学史編纂室編『京都の医学史』(1980・思文閣出版)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小石元瑞」の解説

小石元瑞 こいし-げんずい

1784-1849 江戸時代後期の医師
天明4年11月20日生まれ。小石元俊の子。江戸で大槻玄沢,杉田玄白らにまなぶ。父の私塾究理堂をつぎ,新宮凉庭(りょうてい)とともに京都の二大蘭方医といわれる。頼山陽,田能村竹田(たのむら-ちくでん)らとも交遊した。嘉永(かえい)2年2月10日死去。66歳。京都出身。名は竜。号は拙翁,檉園など。著作に「東西医説析義」「薬性摘要」など。

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367日誕生日大事典 「小石元瑞」の解説

小石元瑞 (こいしげんずい)

生年月日:1784年11月20日
江戸時代後期の蘭方医
1849年没

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