垣内宿(読み)かいとしゆく

日本歴史地名大系 「垣内宿」の解説

垣内宿
かいとしゆく

[現在地名]白山町垣内

初瀬はせ表街道青山あおやま越の東坂本ともいうべき位置にある。伊賀国の伊勢地いせじ(現名賀郡青山町)まで上り下り三里といわれた難所にかかる宿場で、古代からの交通路に位置したが、宿の形成年代は不明。天正三年(一五七五)二月、島津家久は居城薩摩国串木野くしきのを発ち上洛し、伊勢参宮を行った。その旅行記「中書家久公御上京日記」に「あお村」の竹室三郎兵衛の宿を発って、五月二九日、「あを山越をして伊勢の内入道かいといへる村に関有、次にお山との谷といへる所にて関五有、亦駒の口とて関有、亦大ぬきといへる所ニ関、次に長野関とて有、亦田尻ニ伊賀関とて有、其より行て三わたり(渡)といへる所を打過、平尾といへる所、台屋関といへる者の所に一宿」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android