朝日日本歴史人物事典 「垣見一直」の解説
垣見一直
生年:生年不詳
安土桃山時代の武将。通称は弥五郎,和泉守。諱は家純,家紀とも。羽柴(豊臣)秀吉に仕え,天正12(1584)年小牧・長久手の戦に大垣城普請を検知する。同18年奥州征討に道奉行を務める。文禄1(1592)年朝鮮の役に渡海して秀吉の軍令を伝える。慶長2(1597)年軍目付として朝鮮に渡り,諸将の行動を秀吉へ上申。いわゆる武断派諸将と隙を生じ,同4年謹慎を命じられた。同5年関ケ原の戦には西軍に与して伏見城攻めに参加し,美濃大垣に籠城する。しかし,9月18日(一説に17日)変心した相良頼房(長毎)らに謀殺された。<参考文献>山鹿素行『武家事紀』,桑田忠親『太閤家臣団』
(平野明夫)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報