20世紀日本人名事典 「堀久作」の解説
堀 久作
ホリ キュウサク
- 生年
- 明治33(1900)年7月8日
- 没年
- 昭和49(1974)年11月14日
- 出生地
- 東京
- 学歴〔年〕
- 大倉高商〔大正8年〕卒
- 経歴
- 学校を出て株屋の店員やホテルの従業員などをした後、東京互斯常務、松方乙彦の秘書となる。昭和10年松方が日活の社長を引き受けたあと日活に入社し、20年社長に就任、46年まで社長。この間、赤字だらけだった日活を再建する一方、終戦後間もない25年に米国ノースウエスト航空会社と組んで東京・日比谷に地上9階、地下4階、総建坪約1万5000坪の日活国際ビルを建てた。その際、マッカーサー元帥に許可申請し「計画に絶大な賛意を表する」との“お墨付き”をとって米国輸出入銀行からの外資導入に成功するなど、財界の“怪物”ぶりを見せる。28年からは映画製作を再開し、「太陽の季節」などのヒット作を生み、石原裕次郎、小林旭、吉永小百合らのスターを育てて日活の名を高めた。46年には日活の取締役相談役に退いたが、日経連、経団連各常任理事、東京経済大学理事長などを歴任した。また江ノ島振興社長を務め、江ノ島水族館を設立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報