映画俳優。兵庫県生まれ。慶応義塾大学中退。在学中の1956年(昭和31)兄の石原慎太郎(しんたろう)の小説を映画化した『太陽の季節』でデビューし、昭和30年代の若者風俗を象徴する「太陽族」の名とともに一躍有名になる。同年『狂った果実』に主演し、スターにのしあがった。1957年『嵐を呼ぶ男』は空前のヒット。長い脚と甘さの中に野性味をたたえた容貌(ようぼう)で、新しいタイプのヒーローとして圧倒的な支持を得て、日活のドル箱スターとなった。低音で歌う歌も『俺は待ってるぜ』『銀座の恋の物語』『赤いハンカチ』『夜霧よ今夜も有難う』などと次々にヒットさせ一時代を画し、1967年にレコード大賞特別賞を受賞した。1963年石原プロモーションを設立し社長となり、同年の芸術祭賞の『太平洋ひとりぼっち』、1968年『黒部の太陽』などを製作し野心作を生み出した。1972年テレビ映画『太陽にほえろ!』に出演し、茶の間でも人気スターとして注目を浴びた。1987年7月17日没。
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…新東宝では《白線秘密地帯》(1958)の宇津井健,《黄線地帯(イェロー・ライン)》(1960)の吉田輝雄,《女王蜂》シリーズ(1960‐61)の三原葉子等々。しかし正真正銘〈活劇王国〉として栄えたのは日活で,1954年の製作再開直後から,水島道太郎,河津清三郎,三国連太郎,三橋達也らを主演に探偵活劇,犯罪活劇,暗黒街活劇がつくられ,やがて,石原裕次郎を中心に小林旭,赤木圭一郎,和田浩治を含めた〈ダイヤモンド・ライン〉なるスター路線で活劇を量産し,いわゆる〈日活アクション〉の全盛期(1950年代末から60年代末まで)を迎え,さらに宍戸錠,二谷英明,高橋英樹,渡哲也といった後続スターを生み出し,やがて60年代末からは藤竜也,梶芽衣子,原田芳雄らを中心に遊戯的青春群像を描く〈日活ニュー・アクション〉の時代に移るが,そうした流れは日活映画(にっかつ)そのものの歴史でもある。
[活劇の衰退]
1970年代から80年代にかけて日本映画の製作本数は激減し,それとともに活劇も衰退してスクリーンからすっかり姿を消した。…
…(1)長谷川一夫(1948‐52)(2)鶴田浩二(1952‐53)(3)山村聡(1952‐65)(4)岸恵子,久我美子,有馬稲子の〈にんじんくらぶ〉(1954‐66)(5)三船敏郎(1962‐ 。東京世田谷成城)(6)石原裕次郎(1963‐ )(7)三国連太郎(1963‐65)(8)勝新太郎(1967‐ )(9)中村錦之助(のち萬屋錦之介)(1968‐ )
【時代劇と現代劇】
[サイレント映画の頂点――時代劇の全盛時代]
日本映画は1920年代後半,量産時代に入り,年間650本ほどの作品がつくられるようになった。まだサイレントの時代であり,全盛期には7000人の弁士がいたという。…
※「石原裕次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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少子化とは、出生率の低下に伴って、将来の人口が長期的に減少する現象をさす。日本の出生率は、第二次世界大戦後、継続的に低下し、すでに先進国のうちでも低い水準となっている。出生率の低下は、直接には人々の意...
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