20世紀日本人名事典 「堀口九万一」の解説 堀口 九万一ホリグチ クマイチ 明治・大正期の外交官,随筆家 生年元治2年1月28日(1865年) 没年昭和20(1945)年10月30日 出生地越後国長岡(新潟県) 別名号=長城 学歴〔年〕東京帝大法学部〔明治26年〕卒 経歴司法官補となるが、外交官試験に合格し、明治27年朝鮮国仁川に赴任。28年閔妃殺害事件で非職となるが、翌年復職。以後オランダ勤務を経て、メキシコ公使、ブラジル公使、ルーマニア公使を歴任し、大正14年退官。以後、著述、講演を続けた。メキシコ公使時の2年、マデロ大統領がウエルタ将軍から裏切られ官邸に監禁、殺害された際、その夫人や一族らを日本公使館に匿い助けたという逸話がある。随筆集に「游心録」。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀口九万一」の解説 堀口九万一 ほりぐち-くまいち 1865-1945 明治-大正時代の外交官。元治(げんじ)2年1月28日生まれ。堀口大学の父。朝鮮に在勤中,明治28年(1895)の閔妃(ミンビ)暗殺事件に連座して帰国を命じられる。のちブラジル公使,ユーゴスラビア兼ルーマニア公使などをつとめた。文人として知られ,「游心録」などの随筆集をあらわした。昭和20年10月31日死去。81歳。越後(えちご)(新潟県)出身。帝国大学卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by