閔妃(読み)びんひ(英語表記)Minbi

  • 1851―1895
  • びんひ / ミンピ
  • 閔妃 Minpi
  • 閔妃 びんき
  • 閔妃 びんひ
  • 閔妃 ミンビ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

[生]哲宗2(1851)
[没]高宗32(1895).10.8. 京城(現ソウル)
朝鮮,朝鮮王朝 (李朝) 末期の高宗の王妃閔氏。諡は明成王后。京畿道驪州郡出身。その政治力によって朝鮮王朝の政治を左右した。閔致禄の娘で,8歳で父母を失い継母のもとに育つ。早くから才色兼備をうたわれ,高宗3 (1866) 年3月 20日,高宗 15歳,閔妃 16歳で結婚。閔氏一族を登用し守旧事大 (親清) の政策をとり,政権を義父大院君や親日開化派と争った。同 32年 10月8日三浦梧楼公使らの陰謀で,日本人壮士によって虐殺された (→乙未事変 ) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

1851-1895 朝鮮王朝の第26代高宗(コジヨン)の妃。
哲宗2年9月25日生まれ。1866年16歳で妃となる。高宗の父李是応(イ-ハウン)(大院君)を失脚させ閔氏一族を登用して政権をにぎった。日清(にっしん)戦争後,ロシアとむすんで反日政策をとったため,朝鮮公使三浦梧楼が指揮する軍人,壮士らによって高宗32年8月20日(1895年10月8日)殺害された。45歳。京畿道出身。

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世界大百科事典 第2版の解説

1851‐95
朝鮮,李朝第26代高宗の妃。驪興(れいこう)閔氏の一族,閔致禄の娘として,京畿道驪州に生まれる。1866年,大院君の夫人閔氏の推薦で王妃となったが,宮中内外に閔氏一族勢力を扶植し,73年には大院君を失脚させた。翌年,王子坧(のちの純宗)を産んで基盤をさらに固め,閔妃とその一族は政権の中枢を独占する。閔氏政権がすすめた開国政策は国内にさまざまな対立を生み出し,82年には壬午軍乱がおこった。このとき閔妃は変装して王宮を脱出したが,清国軍が介入して大院君を天津に連れ去ると,再び勢力を回復した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李氏(りし)朝鮮第26代高宗の妃。1866年に王妃に冊封(さくほう)された。時の執権者であった高宗の実父大院君と対立し、閔氏一族を中心に反対派を糾合、政府の要職に登用し、73年には国王親政の名のもとに大院君を退け、自ら権力を握った。鎖国主義を改め、76年には日本と江華条約(日朝修好条規)を結んだ。82年の壬午(じんご)軍乱で失脚したが、ふたたび政権を掌握。84年の甲申政変では一族の有力者を失いながらも、清(しん)国軍の介入で政変を挫折(ざせつ)させた。日清戦争後、親日的な金弘集らの手で甲午改革が始まると、ロシアに接近して日本の侵略を阻止しようと図った。これを憎んだ日本官憲、浪人の手によって、95年10月8日殺害され、死体は焼却された。

[宮田節子]

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精選版 日本国語大辞典の解説

朝鮮、李朝第二六代高宗の妃。閔致祿の娘。一八六六年王妃となって権勢を掌握、高宗の実父大院君を追放して閔氏一族による政権を確立した。清やロシアと結んで日本の侵略を阻止しようとしたために、乙未(いつび)の変で暗殺された。明成王后とも。(一八五一‐九五

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

1851〜95
李氏朝鮮の高宗の妃
1866年妃となり,のち外戚 (がいせき) 閔氏一族を率いて摂政大院君と政争をくり返した。1873年大院君を隠退させ,82年壬午 (じんご) 軍乱ののち清に接近し,84年甲申 (こうしん) 政変以後は全盛となった。1895年には三国干渉を行ったロシアと結んだが,勢力挽回をはかる日本公使三浦梧楼らによって景福宮で殺害された。

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旺文社日本史事典 三訂版の解説

1851〜95
李氏朝鮮末期,李太王(高宗)の王妃
1866年王妃となり,'73年大院君(李太王の父)を引退させて閔氏政権を樹立。'82年壬午事変ののち,清と接近し,'84年甲申事変後は閔氏=事大党の全盛期となる。日清戦争後,勢力を失墜し,反日親露政策をとり,'95年日本公使らの扇動による日本駐留軍の手で,漢城(現ソウル)景福宮で殺害された(乙未 (いつび) の政変)。

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世界大百科事典内の閔妃の言及

【梨花女子大学校】より

…1886年アメリカのメソディスト派宣教師W.B.スクラントン夫人創設の梨花学堂に始まる。〈梨花〉の名称は閔妃(びんひ)(明成皇后)が下賜。女子教育に消極的な儒教的風土の下でその先駆となり,女性の地位向上に貢献した。…

※「閔妃」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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