デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀口貞満」の解説 堀口貞満 ほりぐち-さだみつ 1297-1338 鎌倉-南北朝時代の武将。永仁(えいにん)5年生まれ。上野(こうずけ)(群馬県)新田郡の人。新田義貞(よしさだ)に属し鎌倉攻めで功をたてる。建武(けんむ)3=延元元年足利尊氏(たかうじ)との和睦をすすめる後醍醐(ごだいご)天皇をいさめる。義貞にしたがい恒良(つねよし)親王,尊良(たかよし)親王を奉じて越前(えちぜん)にむかい,建武5=延元3年1月越前で没したという。42歳。通称は三郎。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「堀口貞満」の解説 堀口貞満 没年:暦応1/延元3.1(1338) 生年:永仁5(1297) 南北朝期の武士。父は堀口貞義。鎌倉攻めの功績により,建武1(1334)年,後醍醐天皇から正六位上,大炊助に,翌年には従五位上,美濃守に補された。建武3/延元1年10月,新田義貞と共に,恒良親王,尊良親王を奉じて越前に赴いた。以後,南軍の武将として活躍,越前で戦没した。 (佐藤和彦) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by