パラマス(読み)ぱらます(その他表記)Gregorios Palamas

日本大百科全書(ニッポニカ) 「パラマス」の意味・わかりやすい解説

パラマス(Gregorios Palamas)
ぱらます
Gregorios Palamas
(1296―1359)

ギリシア東方正教会の神秘主義神学者テサロニケの大主教(1347~1359)。アトス山修道士のとき、当時アトス山で盛んに行われていた呼吸訓練などの禁欲的修行によって神との神秘的な合一を得るという静寂主義(ヘシカスモス)を体得した。そしてこれを神学的に解釈し、静寂主義を異端と考えるカラブリアの修道士バルラアムらBarlaam of Calabria(1290ころ―1348)と論争した(1340)。パラマスによると、聖書に書かれているイエス変貌(へんぼう)(「マルコ伝福音(ふくいん)書」9章2以下)の際に出た光は神のエネルゲイアで、人間はこのエネルゲイアによって神と合一できるという。彼の理論は最終的に正統性を認められ(1351)、東方正教会の静寂主義の発展に寄与した。

[山川令子 2018年2月16日]

『森安達也著『世界宗教史叢書3 キリスト教史Ⅲ』(1978・山川出版社)』『E. Kadloubovsky, G. E. H. PalmerEarly Fathers from the Philokalia (1954, Faber & Faber, London)』


パラマス(Kostis Palamas)
ぱらます
Kostis Palamas
(1859―1943)

ギリシアの詩人。ペロポネソス半島北部のパトレ出身。アテネ文芸評論に携わる。アテネ大学事務長の職を長年務め、ギリシア国民の精神的指導者としても著名。処女詩集祖国の歌』(1886)以来、多数の作品を発表した。ヘレニズム、ビザンティン時代に題材を仰ぎ、思索の深さと優れた技巧特色とする。ギリシアの高踏派を目ざす詩壇の新アテネ派の指導者として影響力が大きかった。

[森安達也]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パラマス」の意味・わかりやすい解説

パラマス
Palamas, Kostis

[生]1859.1.13. パトラス
[没]1943.2.27. アテネ
ギリシアの詩人。アテネ大学で法学を学び,1897年から 30年以上アテネ大学事務長の職にあり,激動期のギリシア国民の精神的指導者としても著名であった。文章語として民衆語の育成に努め,純正語を用いたロマン派の硬直性を批判した。ギリシアの高踏派ないし象徴派を目指すいわゆる新アテネ派を結成。処女詩集『祖国の歌』 Tragoudia tis patridos mou (1886) 以来,18の詩集を発表しているが,代表作は『ゆるぎなき生活』I asalefti zoi (1904) ,『ジプシーの 12の歌』O dodekalogos tou gyftou (07) ,『王の笛』I flogera tou vasilia (10) 。

パラマス
Palamās, Grēgorios

[生]1296/1297. コンスタンチノープル
[没]1359.11.14. テッサロニカ
ビザンチンの神学者。テッサロニカ大主教,没後 1368年に聖者に列せられた。タボル山上の非創造の光が実見しうるか否かをめぐって,イタリアの修道士バルラアムの攻撃に端を発したヘシカズム (静寂主義) 論争において,静寂主義派を擁護。のちの公会議でその立場が公認され,ビザンチン神秘神学の完成者とされた。代表作『聖なる静寂主義者について』 Peri ton hierōs hēsuchazōnton (1338,3部作の一部) ,『聖山の書』 Tomos hagioreitikos (1341) 。

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