堀場村(読み)ほりばむら

日本歴史地名大系 「堀場村」の解説

堀場村
ほりばむら

[現在地名]余目町堀野ほりの

柴野しばの村のうちかみ村の北東にあり、東を最上川が北流する。地名の由来には、鮭の掘り場所と、仏像を掘出した場所の二説があるが不詳。最上川の洪水や川欠けなどで村の位置は転々と移り、天正二年(一五七四)現在地に落着いたとも伝える。寛永元年庄内高辻帳に村名がみえ、高一七一石余、正保郷帳では一六七石余で畑高のみ。支配領主の変遷は廿六木とどろき村と同じ。正保元年(一六四四)庄内藩により小出こいで谷地に新川が掘られ(筆濃余理)、最上川の流路が東に寄り、二村に分断されたらしい。


堀場村
ほりばむら

[現在地名]松山町山寺やまでら

渡場わたしば村の南にあり、西は最上川を境に福原ふくわら(現東田川郡余目町)。「大泉庄三権現縁記」の永正三年(一五〇六)の記事に「土潤堀場ハ元来次孫次郎殿御分」とある。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高一石余。寛永元年庄内高辻帳では高三五石余。天保一五年(一八四四)には免四ツ五厘、家数一四、小出こいで大谷地・新谷地運上米一四石(「高辻并留」松山町資料館蔵)。小字に正次郎新田しようじろうしんでんがある。当村は沢水を用水としていたため水不足に苦しみ、文化一一年(一八一四)山寺村など六ヵ村とかみ堰の堰幅拡張など用水確保の嘆願をした(「御用諸控帳」同館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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