改訂新版 世界大百科事典 「堀尾氏」の意味・わかりやすい解説 堀尾氏 (ほりおうじ) 室町~江戸初期の武家。高階(たかしな)氏の支族。高階泰経(やすつね)の曾孫邦経以来尾張丹羽郡に勢力を扶植し,その4代の孫忠泰が初めて堀尾を称したという。忠泰4代の孫泰政のとき織田信長の父信秀に仕え,その子泰晴は信長に従って活躍した。泰晴の子堀尾吉晴は豊臣秀吉の家臣として多くの戦いに従軍,1590年(天正18)浜松12万石を与えられた。1600年(慶長5)関ヶ原の戦ののち隠退,子忠氏が出雲・隠岐24万石を領したが,忠氏は4年後に死去。忠氏の子忠晴が6歳で家を継ぎ,祖父吉晴の後見により松江城を築いた。しかし忠晴が33年(寛永10)に没したとき嗣子がなかったため家は断絶した。執筆者:飯田 悠紀子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「堀尾氏」の意味・わかりやすい解説 堀尾氏ほりおうじ 高階氏の一支族。戦国時代には尾張国に住し織田氏に仕えた。吉晴のとき豊臣秀吉に従い,天正 18 (1590) 年遠江浜松 12万石を領した。慶長5 (1600) 年忠氏のとき,出雲松江で 24万石に封じられたが,その子忠晴の死後,嗣子なく,寛永 10 (33) 年絶家。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by