朝日日本歴史人物事典 「高階泰経」の解説
高階泰経
生年:大治5(1130)
平安末・鎌倉初期の公卿。後白河院の近臣。若狭守高階泰重の子。母は修理権大夫藤原宗兼の娘。仁平1(1151)年に蔵人となり,左衛門少尉,河内・出羽・摂津守などを経て仁安1(1166)年に少納言。さらに伊予守や大蔵卿を経て,寿永2(1183)年従三位に叙せられた。九条兼実の『玉葉』によれば「法皇第一の近臣」で,後白河法皇の寵愛ぶりとその権勢は丹後局(高階栄子)とも比されるほどだった。しかし文治1(1185)年12月,源義経と行家の謀反の際に,子経仲と共に法皇への取り次ぎを務めていたことから,頼朝の怒りを買い,陰謀の中心人物として親子ともに官を解かれ,泰経は伊豆国へ配流が決まった。許されて出仕したのは4年後の文治5年のことだった。建久2(1191)年正三位に叙せられ,同8年に出家した。<参考文献>『玉葉』『公卿補任』
(土谷恵)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報