堀田正高(読み)ほった まさたか

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀田正高」の解説

堀田正高 ほった-まさたか

1667-1728 江戸時代前期-中期大名
寛文7年生まれ。堀田正俊の3男。父の遺領のうち下野(しもつけ)(栃木県)都賀・安蘇両郡の1万石を分与され,佐野藩主。元禄(げんろく)11年近江(おうみ)滋賀・高島両郡に移封され,堅田(かただ)藩主堀田家初代となる。1万石。怡渓宗悦(いけい-そうえつ)に石州流茶道をまなぶ。享保(きょうほう)13年5月29日死去。62歳。初名は正有。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の堀田正高の言及

【堀田氏】より

…江戸時代の譜代大名(図)。もと尾張の出身で,1602年(慶長7)正吉のとき,それまで仕えていた小早川氏が断絶して牢人となったが,05年徳川家康から番士に取り立てられた。正吉の長子正盛は3代将軍家光に小姓として仕え,のち若年寄・老中を歴任し,42年(寛永19)下総佐倉藩万石の領主となった。しかし51年(慶安4)正盛は家光に殉死し,跡を継いだ正信は60年(万治3)領地返上の上書を提出して無断で佐倉に帰城したため,所領を没収された。…

※「堀田正高」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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