堤城跡(読み)つつみじようあと

日本歴史地名大系 「堤城跡」の解説

堤城跡
つつみじようあと

[現在地名]北条町島

しろうち付近にあったと推定されるが、遺構は残っていない。戦国時代、南条氏の重臣であった山田氏の居城で、本丸さんともよばれた。「伯耆民談記」によれば表門は東向きで惣堀の跡を残していたといい、天保一三年(一八四二)の田畑地続全図(北条町歴史民俗資料館蔵)によっても掘割をめぐらせていた様子がうかがえる。御家中系図(岩国徴古館蔵)によれば山田右門家は始祖頼円から山田弥三郎左衛門時直に至るまで代々「津々見城」に拠ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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