日本歴史地名大系 「堰場」の解説 堰場どうば 宮城県:仙台市仙台城下堰場[現在地名]仙台市堰場仙台開府当時、根岸(ねぎし)村から城下に入る最南の道筋は、宮沢(みやざわ)渡戸で広瀬川を渡り舟(ふな)丁へ連絡する道であった。その渡場に臨む広瀬川沿いの地を堰場とよぶ。西は石名坂(いしなざか)、東は舟丁の南端部に接し、北部に七郷(しちごう)堰、南部に六郷堰の取水口が設けられている。広瀬川の流れを堰止めて用水と舟運に利用した両堰に囲まれているところにその名が由来するものと思われる。ただし堰場という地名は近世期の史料には見いだしえず、俗称としてはあったかもしれないが、弘化二年(一八四五)の「奥陽名数」には若林(わかばやし)米蔵とのみあり、あるいはこれをもって当地の呼称としたのかもしれない。堰場の名が一般的になるのは米蔵が廃された明治維新以降のことであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by