日本歴史地名大系 「塩屋八ヵ村」の解説 塩屋八ヵ村しおやはつかそん 鹿児島県:枕崎市鹿籠村塩屋八ヵ村鹿籠(かご)村にあった塩焼きの村。この場合の村は塩焼釜を表す。現枕崎市塩屋北町(しおやきたまち)・塩屋南町(しおやみなみまち)、立神本町(たてがみほんまち)のうち田畑(たばた)、汐見(しおみ)町・折口(おりぐち)町、別府(べつぷ)のうち東白沢(ひがししらざわ)・西白沢の各地にあたる。明和四年(一七六七)の鹿籠名数記(伊集院家文書)に「塩屋八村あり、新浦とも八軒竈ともいう、これ上代の本竈にて、近代潮にては焼かざるなり。いわゆる枕崎釜・折口中之釜・神園釜・折口上之釜・小湊中之釜・同所田之畑釜・白沢津東釜・同西釜なり」(原漢文)とある。本竈とは塩水を直接焼いて塩を生産したものらしい。近世に花渡(けど)川下流両岸の潮入りを塩田とし、武士の副業として与えたが、いつ誰が開いたかは不明。鹿籠領主の一〇代喜入久亮の連歌に、「祝ひつつ安き嘉例の腹の帯塩浜踏みて目を流し合ふ」「此の浜の塩は甘いと褒揚無理に鳴らする弁の法螺貝」など塩浜を詠んだ句が多く(「万句賀親乾」枕崎市立図書館蔵)、口碑では久亮の代の開発ともいう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by