坊津(読み)ぼうのつ

日本大百科全書(ニッポニカ)「坊津」の解説

坊津
ぼうのつ

鹿児島県薩摩半島(さつまはんとう)南西部、川辺郡(かわなべぐん)にあった旧町名(坊津町(ちょう))。現在は南さつま市の南端部を占める。旧坊津町は1955年(昭和30)町制施行。2005年(平成17)大浦(おおうら)町、笠沙(かささ)町、加世田(かせだ)市、日置(ひおき)郡金峰(きんぽう)町と合併し南さつま市となった。亜熱帯植物の茂るリアス式海岸は坊野間(ぼうのま)県立自然公園の中心で、入り江を結ぶ県道、国道226号が通じる。遣唐船の発着地で日本三津(さんしん)の一つ。583年(敏達天皇12)百済(くだら)日羅(にちら)が渡来、一乗院(いちじょういん)を建立して仏教文化が栄えた。唐僧鑑真(がんじん)の上陸地としても有名。中世には倭寇(わこう)の根拠地の一つで、南蛮船も出入りする貿易港となり、鎖国以降も薩摩藩の密貿易基地であったといわれる。カツオ漁業従事者が多く、農業はポンカンが特産である。坊津歴史資料センター輝津館(ぼうのつれきししりょうせんたーきしんかん)には、国指定重要文化財絹本著色八相涅槃(ねはん)図(竜巌(りゅうがん)寺蔵)が保管され、ソテツ自生地が特別天然記念物、十五夜行事が重要無形民俗文化財として国から指定を受けている。

[白石太良]

『『坊津町郷土誌』全2巻(1969、1972・坊津町)』


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「坊津」の解説

坊津
ぼうのつ

鹿児島県南西部,南さつま市南部の旧町域。薩摩半島南西部にあり,東シナ海に臨む。 1955年町制。 2005年加世田市,笠沙町,大浦町,金峰町の1市3町と合体して南さつま市となった。南部の坊は古くは遣唐使船の発着港として,博多那津,伊勢の安濃津とともに日本三津の一つとして栄えた。敏達 12 (583) 年に百済からの僧,日羅 (にちら) が建てたとされる名刹一乗院があり,坊津の名もこの僧に由来するといわれる。山がちで南と西が海に面し,坊津八景と呼ばれる屈曲に富むリアス海岸一帯は坊津として国の名勝に指定されている。また坊野間県立自然公園に属する。明治期よりカツオ漁業の先進地。ポンカンとエンドウを栽培するほか,養豚も盛ん。国指定特別天然記念物のソテツ自生地がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社日本史事典 三訂版「坊津」の解説

坊津
ぼうのつ

鹿児島県南西部,薩摩半島南西岸にある港町
古来南方海上交通の要地として発達。室町時代,島津氏の中国貿易・琉球貿易の根拠地となり,特に15世紀末以後遣明船の寄港によりいっそう栄え,三津 (さんしん) の一つに数えられた。江戸時代,長崎が貿易港となると衰えた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

精選版 日本国語大辞典「坊津」の解説

ぼう‐の‐つ バウ‥【坊津】

(敏達天皇一二年(五八三)百済から渡来した日羅が建立した一乗院の僧坊があったところからの名称) 鹿児島県、薩摩半島南西部の地名。古くから日本三津の一つとして遣唐船の発着地、海外貿易の基地となった。現在は漁港。ポンカンを特産する。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

事典・日本の観光資源「坊津」の解説

坊津

(鹿児島県南さつま市)
三津」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

今日のキーワード

戻り梅雨

梅雨が明けたあとに、再び梅雨のような状態に戻ること。返り梅雨。《季 夏》[類語]梅雨・梅雨ばいう・五月雨・空梅雨・菜種梅雨・走り梅雨・返り梅雨...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android