塩手村(読み)しおてむら

日本歴史地名大系 「塩手村」の解説

塩手村
しおてむら

[現在地名]名取市愛島塩手めでしましおて

高館たかだて丘陵の東麓にあり、南に愛島丘陵が東へ張出す。北は川上かわかみ村、南は笠島かさしま村に接する。丘陵裾を南北にあずま海道が通る。村名の由来は、「封内風土記」には往古老僧が山下から湧く潮水を汲んで塩を煮、衆人に与えて病を治したので、塩の出る山を塩出しおで山、塩釜のある所を釜之前かまのまえ、村名を塩出村と号するようになったとし、のち誤って塩手と書くと記している。

塩手村
しおでむら

[現在地名]直入町下田北しもたぎた 塩手・藤目ふじめ

なか村の東、馬門まかど川の下流域左岸に位置し、同川は北東端でせり川に合流する。田北氏の祖親泰が嘉禎二年(一二三六)父大友親秀から所領を譲与され、翌三年安堵の将軍家下文に「塩手」がみえる(「大友田北氏系図」田北赳夫本)。江戸時代には幕府領直入郡一二ヵ村の一で、領主の変遷は井手野いでの村と同じ。正保郷帳に下田北村のうちとして村名がみえ、田高二五六石余・畑高二三三石余、旱損がち。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報