笠島村(読み)かさしまむら

日本歴史地名大系 「笠島村」の解説

笠島村
かさしまむら

[現在地名]角田市笠島

阿武隈高地北東部、西方山地から東流する笠島川流域にある。東は横倉よこくら村、北は高倉たかくら村に接する。北西の熊野神社を祀る権現堂の森はこの地域一の標高二六二・三メートルを示す。天文七年(一五三八)の段銭古帳に「かさしま」とみえ段銭は一二貫四〇〇文、「ちきのふかねさハ」と注記される。段銭を直納していた金沢氏は当郷を中心に勢力をもつ有力武士であったらしい。「安永風土記」によれば、文治年中(一一八五―九〇)奥州合戦の際に源頼朝の一族の金沢氏が居を構えたという山口やまぐち館がみえ、「古城書立之覚」には城主は金沢という者と伝えるとする。天文二二年集成の晴宗公采地下賜録では、小高二郎左衛門に笠島郷の金沢上総知行分が残らず下され、このうち金沢氏から原田駿河・阿部越前へ年期売されている分については、年期明け以後知行することとされている。阿部平三(越前)には金沢よりの買地「一まろ山、一きたの在け」、松浦弥四郎よりの買地「はたけ一くわん」が本状に任せ年期の間知行することが安堵された。


笠島村
かさしまむら

[現在地名]名取市愛島笠島めでしまかさしま

高館たかだて丘陵の東麓にあり、北は愛島丘陵(賽ノ窪丘陵)が東へ張出す。川内沢かわうちさわ川が西の山間部から東へ流れ出る。高館丘陵裾を南北あずま海道が通る。村名は、元禄一六年(一七〇三)肝入により書上げられた道祖神社之由来記(「宮城県地名考」所収)によれば、道祖神の冠にちなみ冠島かんむりじまとよばれたが、のち文字を誤り笠島といわれるようになったとある。「安永風土記」は弁才天社が鎮座することから村名がつけられたとする。弁才天社は慶長七年(一六〇二)野火焼失、のち再建。一説には道祖神社のことともされる。「源平盛衰記」(巻七)には「笠島道祖神事」として藤原実方中将の逸話を載せる。天文二年(一五三三)二月二二日の留守景宗宛行状(留守文書)に「かさしまの内中のさいけ」とみえ、大むらひこ四郎から没収された同所が本郷土佐守へ与えられている。


笠島村
かさしまむら

[現在地名]宇ノ気町笠島

横山よこやま村の東方、丘陵麓に位置。横山村との間に大谷おおたに川と宇ノ気川上流による沖積低地が広がる。一般にカサシマとよぶが、カサジマの例もある(圭邑名林)正保郷帳では高四四一石余、田方二三町四反・畑方六町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高三三四石、免四ツ五歩、小物成は山役一五二匁、猟船櫂役五匁(出来)、蝋役一匁(三箇国高物成帳)


笠島村
かさしまむら

[現在地名]柏崎市笠島

米山よねやま三里の峠道にある北陸道沿いの村、頸城くびき郡に属する。北は日本海に面し、東は同郡青海川おうみがわ村、西は同郡上輪あげわ新田。文明一八年(一四八六)道興准后の「廻国雑記」に「あふみ川。かさ島などうち過て」と記す。文禄(一五九二―九六)頃の頸城郡絵図に「笠嶋村」と記し、知行人は御料所と斎藤氏の相給、地味下、本納九・五二石、縄高一三・五〇四石、役家数一〇・人数三〇とある。近世は初めは高田藩領。元和二年(一六一六)から同四年は長峰藩牧野忠成領。同四年の長岡藩知行目録では高四〇石六斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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