塩見町(読み)しおみちよう

日本歴史地名大系 「塩見町」の解説

塩見町
しおみちよう

[現在地名]岡山市野田屋町のだやちよう一丁目

外堀端の道の西側の片側町。東は外堀、向いは弓之ゆみの町、西は細堀を隔て山崎やまさき町・丸亀まるがめ町、北は難波なにわ町。寛永城下絵図には記載はなく、慶安城下絵図に塩見町とみえる。貞享元年(一六八四)の岡山町中御検地畝高地子帳によれば町域は七反六畝で、うち御免地加藤甚右衛門屋敷一反六畝・養林ようりん寺屋敷一反五畝・泰安寺屋敷六畝を除き、残り三反七畝余、徳米三石一斗余・口米六升余。近世初期の区分は外町(市政提要)、中期以降は上組の外町(岡山市史)


塩見町
しおみちよう

三泊さんどまり町の南にあり、南はもと町。昭和二八年(一九五三)大字三泊村字エンルモカ・字ツネカムリほか一九の字を包括して設置。同三〇年の戸口は七三戸・四二一人(留萌市統計書)。同年以降鰊漁が終焉住民流出が進んだ。同三九年留萌港臨港地区に指定。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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