日本歴史地名大系 「養林寺」の解説 養林寺ようりんじ 群馬県:勢多郡大胡町堀越村養林寺[現在地名]大胡町堀越 殿町大胡城本丸跡の真西に位置し、城の用水虎(とら)ヶ堰を搦手門で越えて山門に至る。無量山月照院と号し、浄土宗。本尊阿弥陀如来。大胡藩主牧野氏の菩提寺として創建されたが、古く法然を京都の吉水(よしみず)(現東山区)に訪ねて念仏修行をした大胡太郎隆義、実秀の信仰の跡と伝え、寺境は二重の空堀をめぐらしていた。この地に寺を創建したのは慶長九年(一六〇四)一一月に藩主牧野康成が父成定の菩提を弔ったためという。康成は同一四年に没し、養林寺に葬られた。この時に寺境は整備されたのであろう。 養林寺ようりんじ 愛知県:幡豆郡一色町味浜村養林寺[現在地名]一色町味浜 北乾地大字味浜(あじはま)の中央に位置する。東光山養林寺と称し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、城州の住人柵木長右衛門が比叡無動寺嶺正の弟子となり、順徳と改め、大同元年(八〇六)赤埴(あかはに)の里に来て一宇を建立し、華厳(けごん)寺と名付けたのが始まりという。興国元年(一三四〇)藤原藤房が一九世住職となってから、血族が代々相継いだが、正平九年(一三五四)二〇世光房の代に天台宗から真宗に改宗、養林寺と改名したという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報