塩飽勤番所跡(読み)しわくきんばんしよあと

日本歴史地名大系 「塩飽勤番所跡」の解説

塩飽勤番所跡
しわくきんばんしよあと

[現在地名]丸亀市本島町泊

ほん泊の宮ノ浜とまりのみやのはまにある。寛政四年(一七九二)―五年の島治改革に伴い、同九年島中船方領の政治の場として建築された。文久二年(一八六二)に改築されている。選出交替制の年寄が交替で島政にあたった。建物は明治以降本島ほんじま村役場、丸亀市本島支所として使用されたが、昭和四五年(一九七〇)国の史跡に指定され、同五〇―五二年、本館(三〇六・三平方メートル)・長屋門(八九・九平方メートル)・番人部屋(七一・二平方メートル)・朱印庫(一二・八平方メートル)・土塀・板塀などが復元された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「塩飽勤番所跡」の解説

しわくきんばんしょあと【塩飽勤番所跡】


香川県丸亀市本島町にある番所跡。江戸時代の塩飽諸島1250石の政務所だったところで、1798年(寛政10)に建てられた。朝鮮出兵などで活躍した塩飽の船方650人に、豊臣秀吉が朱印状を与え、「人名(にんみょう)」と呼ばれた650人は、どの藩にも属さず自治がまかせられた。この人名の中から選ばれた4人の年寄によって塩飽諸島の政治が行われ、年寄は自宅を役所として交代で政務をとっていたが、勤番所が建てられてからはここで政務をとった。江戸時代には天領になり、明治維新まで人名の自治が続いた。勤番所は三方を土塀に囲まれており、長屋門を入ると正面に執務の間・座敷からなる主屋、左手奥に朱印庫がある。朱印庫には、信長秀吉家康・秀次・秀忠から与えられた朱印状や海路図をはじめ、塩飽の歴史を物語る重要書類が保管されている。1970年(昭和45)に国の史跡に指定された。現在の建物は1974年(昭和49)から3年かけて解体修理したもので、歴史資料館として公開されている。JR予讃線丸亀駅から徒歩約5分の丸亀港から本島汽船で本島港下船、本島港から徒歩約10分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

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