塩飽庄(読み)しわくのしよう

日本歴史地名大系 「塩飽庄」の解説

塩飽庄
しわくのしよう

塩飽諸島のうち、ほん島・ひろ島を中心とする一帯と推定される。保元元年(一一五六)七月日の藤原忠通書状(天理図書館所蔵文書)に添えられた庄園目録に「塩飽 讃岐国」とみえ、忠通は乳母「宣旨」(讃岐宣旨・法成寺執行隆尊女)の死を悼むとともに、「播磨」に処分した所領については相違ないことを約し、それらの庄園の目録を付している。発給の時期からみて、保元の乱後所領の安堵を求めてきた「播磨」に忠通が答えたものであろう。建長五年(一二五三)一〇月二一日の近衛家所領目録案(近衛家文書)によれば、当庄はもと京極殿(師実)領で、忠通の書状に付された庄々とともに、富家(忠実)より「播州」へ譲与されたという。これらからみて、当庄は藤原頼通の嫡子師実の頃には摂関家領となっており、その後忠実へ伝領され、その愛妾播磨局に領家職が与えられたと判断される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む