増島城跡(読み)ますしまじようあと

日本歴史地名大系 「増島城跡」の解説

増島城跡
ますしまじようあと

[現在地名]古川町片原町

現在の古川小学校が当初の本丸跡で、増島天満神社境内にかけてあった。本丸櫓跡に神社が鎮座する。天正年間(一五七三―九二)金森氏により築かれた平城跡みや川に沿って南北に長い古川盆地ほぼ中央に位置する。金森長近は天正一四年飛騨を領国とし、同一七年には可重が古川(蛤)城下商人町の掟を定めており、この間の築城と思われる。長近は鍋山なべやま(現高山市)に入り、増島城にははまぐり城にいた養子可重を置いた。長近の没後、可重は高山城主となり、その長子重近が増島城主となる。可重の死後、将軍徳川秀忠の命により弟の重頼が三代高山城主となったため、重近は出家して宗和と号し、京都に去って宗和流の茶道の祖となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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