古川町方村(読み)ふるかわまちかたむら

日本歴史地名大系 「古川町方村」の解説

古川町方村
ふるかわまちかたむら

[現在地名]古川町壱之町いちのまち弐之町にのまち三之町さんのまち殿町とのまち上町かんまち大野町おおのまち向町むかいまち・向町二―三丁目・是重これしげ二丁目・増島町ますしまちよう片原町かたはらちよう東町ひがしまち金森町かなもりちよう本町ほんまち末広町すえひろちようさかえ二丁目

南は是重これしげ村、西はみや川を隔てて高野たかの村。「教言卿記」応永一三年(一四〇六)四月五日条に「古川庄被成御料所」とみえ、分裂した姉小路家のうち古川家の支配地を古川庄・古河郷とよんだと思われる。かつて荒城あらき川は上町辺りで宮川に合流し、その辺りは深かったため深川ふかがわ郷とよばれたという。「和名抄吉城郡に深河郷がある。その後荒城川の水流が変わり、旧河床が古川郷となったと思われる。姉小路家の古川城が高野に構築されてからは、城下町として発達した。「岷江記」によると、天文元年(一五三二)教了が下町の字古町に設けた草庵は本光ほんこう寺の前身で、同一二年字下町に明空が真宗しんしゆう寺を建てている。のちに古川城主となった塩屋秋貞も城下町の経営に力を注ぎ、宇津江うつえ(現国府町)海具江かいぐえにあった正覚寺(円光寺)を上町に招致した。本光寺・真宗寺・円光寺では、親鸞命日には大和蝋燭の明りのもとで徹宵巡回参詣する人々で賑う。これを三寺参さんてらまいりといい、古くから知られた当地の年中行事の一つである。現壱之町に真宗大谷派の誓願せいがん寺がある。もと天台宗の草庵があったが焼け、明徳年間(一三九〇―九四)現在地に再建し、福全寺となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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