円光寺(読み)えんこうじ

日本歴史地名大系 「円光寺」の解説

円光寺
えんこうじ

[現在地名]鹿島町井田

内浦街道の東にある。熊野山と号し、高野山真言宗。本尊は阿弥陀如来。天平宝字七年(七六三)泰澄の開創、天正年間(一五七三―九二)上杉謙信による兵火で焼失との寺伝を残すが、実質的には慶長元年(一五九六)栄祐が草庵を結んだことに始まるという(寺院明細帳)。当寺の過去帳では寛文七年(一六六七)宥栄開基とする。

東方一キロの山中に熊野くまの川にかかる不動ふどう滝があり、古くから石動修験の水行道場として知られた。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]古川町殿町

西はほり川の流れる町の中心部にあり、照耀山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。「岷江記」によれば、江馬氏の臣岩佐喜太郎が大坂で蓮如の弟子となり、正円と号した。その子正祐は永正一一年(一五一四)実如より本尊を拝受し、宇津江うつえ海具江かいぐえ(現国府町)に一堂を建立。その後はまぐり城主塩屋筑前守より上町かんまちに寺地を賜り移転したという。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]稲沢市矢合町 山屋敷

三宅みやけ川の南にあり、万松山と号し、臨済宗妙心寺派。本尊観世音菩薩。境内一千一二〇坪。妙興寺文書の応永三五年(一四二八)妙興寺雑掌目安草案および延文四年(一三五九)の宗暁置文によれば、正中年間(一三二四―二六)大応国師宗暁の創建で、一説には永和元年(一三七五)妙興みようこう(現一宮市)開山円光大照(滅宗宗興)の創建ともいう(府志、尾張志)。元弘三年(一三三三)次の後醍醐天皇綸旨(妙興寺文書)に、寺領が安堵されている。

<資料は省略されています>

建武三年(一三三六)足利尊氏御教書(同文書)では、元弘以来公収された旧寺領および当寺領を安堵され、宗暁置文に「当寺領萩園村拾捌町者、宗暁重代相伝地也」と、矢合村のうちにあたる萩園はぎぞの村一八町は宗暁相伝の地であり、当寺鎮守山王社領として「五段田、自荒尾方寄進地也」とみえる。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]龍野市龍野町下川原

揖保川右岸にある。真宗大谷派、本尊は阿弥陀如来。開基祐全は多田満仲の末裔で摂津多田ただ(現川西市)の住人、満仲の菩提を弔うため天台僧として出家し祐全と称したという。円光寺縁起(寺蔵)や播州六坊之記録(光善寺蔵)などによると、文明七年(一四七五)本願寺八世蓮如に帰依し、同九年直弟子となった。同一六年播州英賀あが(現姫路市)城主三木氏一族の願いにより蓮如に代わり英賀に下向し人丸町に道場を建立し、文明道場と称された(本徳寺の前身)

円光寺
えんこうじ

[現在地名]大内町水主

与田よだ川左岸、円光寺山の東山裾にある。嶺松山蓮花院と号し、真言宗善通寺派、本尊阿弥陀如来。「讃岐国名勝図会」では沙門良毫の草創と伝える。良毫は水主神社大般若経函底書(水主神社蔵)にみえる至徳三年(一三八六)奉加帳に「白鳥高松寺現前住持大徳律師良毫」とみえる。その後、高松たかまつ(現白鳥町)の住職良竜が当寺の諸堂を建立し、良成・良定・良全・定全と法灯を継いだという(誉水村史)

円光寺
えんこうじ

[現在地名]盛岡市南大通三丁目

川原かわら町土橋の半町ほど南の東裏にある寺領五〇石の寺で光台こうだい寺末(「盛岡砂子」など)。紫雲山と号し、浄土宗。本尊は阿弥陀如来。寺伝によれば寛文年中(一六六一―七三)の開基で、開山は生蓮社良往。元禄年中(一六八八―一七〇四)八世良観の代に本堂・山門・庫裏等を再建中興したという。「盛岡砂子」によれば、元禄一六年慈恩院(盛岡藩六代藩主南部信恩の母)が御願の際に切米二五駄を寄進している。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]野洲町久野部

久野部くのべの南東にある。天台真盛宗。本尊は秘仏の聖観音。もと天台宗山門派に属する長福ちようふく寺と円光寺の二寺院で、のち一寺に統合され、歓喜山長福院円光寺と称した。北東の墓地は旧円光寺のあった地と伝える。本尊は「輿地志略」に最澄一刀三礼の作仏とあり、両寺とも延暦年間(七八二―八〇六)最澄が開いたと伝える。円光寺は天明六年(一七八六)の野洲郡各寺由緒書下帳(大谷文書)によれば、天文九年(一五四〇)宗順により再興された。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]増毛郡増毛町舎熊

舎熊しやくま集落にある。月星山と号する。浄土宗。一八六三年(文久三年)に省芳が禅宗の草庵を舎熊村に建立し、和人やアイヌの教化に努めた。明治四年(一八七一)七月大本山芝増上寺寺務支所長で福山光善こうぜん寺住職の岸本隆堂が当地方に布教に訪れたとき、村民の帰依を得て禅寺の草庵を合併して釈迦・阿弥陀の二尊を安置、二尊にそん院と称した。同一九年光善寺より大月定祐が布教に派遣され、同二〇年円光寺と寺号公称。なお明治一七年大月は福山より持参した西洋ブドウ苗を植え、檀家信徒にも勧めた。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]安城市桜井町 中開道

県道安城―桜井線に沿い、その西側に位置する。形谷山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。天福元年(一二三三)創建という。開基順空、俗名藤原某。親鸞の弟子となり、桜井さくらいにあった天台宗の廃寺を修復して円光寺と称した。明応六年(一四九七)一二月四日方便法身尊像の下付を受ける。永禄六年(一五六三)に起こった三河一向一揆に、一四世順正は宗徒を率いて戦い、戦没。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]成田市大竹

大竹おおだけ集落の北部にある時宗寺院。埴生山無量院と号し、本尊は阿弥陀如来。本寺は清浄光しようじようこう(神奈川県藤沢市)であった。寺伝によると、筑前国御笠みかさ郡の武家の出身である教勧が正和三年(一三一四)に開山したという。教勧は二一歳のとき時宗の二代真教の弟子となり、以来真教に随従して諸国を行脚、同年当地に一寺を開いたとされる。正徳元年(一七一一)火災に遭い、同年本堂を再建した(印旛郡誌)

円光寺
えんこうじ

[現在地名]西吉野村大字陰地

陰地おんじ集落の西部にある。平等山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊阿弥陀如来。檜川ひかわ御坊と称する。寺伝によると、開基乗専は丹波の出身で、本願寺覚如の弟子となり、正慶二年(一三三三)に当地に来て寺を創建、建武二年(一三三五)には後醍醐天皇勅願所の綸旨を受けたという。二世善勝の時、覚如から「正闡坊」の名称を与えられ、以来本山掛所の待遇を受けたとされる。慶長八年(一六〇三)に木仏本尊を受け(「木仏御札」寺蔵)、円光寺と改称。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]稲沢市下津町 土山

岐阜街道と五条ごじよう川の間にあり、寂光山と号し、天台宗。本尊聖観世音菩薩。境内約九〇〇坪。養老七年(七二三)行基の創建で、開山は最澄。伊勢安濃津あのつ(現津市)の城主志摩刑部益信の造立で、七堂伽藍、塔頭二三ヵ寺、末寺四八ヵ寺あったが、文明三年(一四七一)・大永四年(一五二四)・天正年中(一五七三―九二)の火災で焼失。のち毫海法印が客殿・庫裏を再建したが、承応三年(一六五四)までには観音堂が荒廃し、安永七年(一七七八)の火災で焼失、二王門のみ残ったが、嘉永七年(一八五四)改築された(棟札)

円光寺
えんこうじ

[現在地名]松山市湊町四丁目

みなと町の本通に面する。丘南山と号し、真宗大谷派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、元和元年(一六一五)大坂城落城の時、豊臣秀頼の家臣郡主馬頭良列は城と運命をともにした。良列はその直前に、子信隆に脱走して僧籍に入るよう遺言していた。信隆は遺命に従い、剃髪して清念と称し、四番よばん町に清涼せいりよう庵をつくったが、慶安二年(一六四九)に本願寺の許しを得て、円光寺と改称したという(伊予温故録)

円光寺
えんこうじ

[現在地名]鎌倉市植木

玉縄たまなわ城跡の南、字相模陣さがみのじんにある。真言宗大覚寺派、城護山明王院と号する。本尊不動明王。開山澄範、開基は玉縄城主北条氏時。開山澄範は永禄二年(一五五九)没。「風土記稿」によればもとは玉縄城中にあり、氏時の祈願所であったが、元和五年(一六一九)の廃城後に現在地へ移されたといい、城跡南西部に円光寺曲輪の名が残る。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]松橋町松橋

町なかの一画、正願しようがん寺の左隣にある。山号は地福山、浄土真宗本願寺派。阿弥陀如来を本尊とする。開基については永禄四年(一五六一)宗好とする説(下益城郡誌)と、寛永一四年(一六三七)宗順とする説(国誌)がある。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]広川町広

浄土真宗本願寺派、山号鷹森山、本尊阿弥陀如来。近世には泉州堺慈光寺末。寺伝によると、もと真言宗の小寺であったが、文明八年(一四七六)蓮如が熊野参詣の途中に休息に立寄った際、住持浄恵がその教化を受けて浄土真宗に改宗。

円光寺
えんこうじ

[現在地名]下関市幡生町二丁目

幡生の中居はたぶのなかいにある。浄土真宗本願寺派で福松山と号し、本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、大永元年(一五二一)肥後国加藤家の臣水野倉之助正次、法名念正が浄土真宗に帰依、長府に一宇を創建したのに始まる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「円光寺」の意味・わかりやすい解説

円光寺 (えんこうじ)

京都市左京区にある臨済宗南禅寺派の寺。山号は瑞巌山。1601年(慶長6)徳川家康足利学校から禅僧の閑室元佶(かんしつげんきつ)を伏見に招き,円光寺と号する学校を建てた。これが当寺の開創で,好学の家康は木活字10万を寄せ,元佶は和漢の典籍の出版にあたった。これを慶長活字本伏見版,円光寺版といい,当寺は日本の出版史上で特筆すべき役割を果たした。のち寺は現在の地に移り,現在は尼寺である。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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