墨俣村(読み)すのまたむら

日本歴史地名大系 「墨俣村」の解説

墨俣村
すのまたむら

[現在地名]墨俣町墨俣

現町域の北部、墨俣輪中の北東端に位置し、東は長良川を隔てて茶屋ちやや新田(現岐阜市)、西は二ッ木ふたつぎ村、南は西橋にしはし村、北はさい川受堤の川向う祖父江そぶえ(現本巣郡穂積町)。村の東西を美濃路が走り墨俣宿を形成、長良川には墨俣湊があって往古から水陸交通の要衝として栄えた。慶長郷帳に村名がみえ村高六九二石余、元和二年(一六一六)の村高領知改帳では稲葉正成(十七条藩)領。同五年より尾張藩領となり(明暦覚書)、幕末に至る。正保郷帳では田高二四三石余・畑高四四三石余・桑木高六石余。天保郷帳には墨股村とみえ、古くは墨俣村と注される。明暦覚書によると概高七六一石余、人数一千二七八、馬三三、船役銭を船奉行に納め、長良川に船橋を架ける際には尾張藩領と加納藩領から等分に船が出され、加納衆が作業にあたった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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