墨俣宿(読み)すのまたしゆく

日本歴史地名大系 「墨俣宿」の解説

墨俣宿
すのまたしゆく

[現在地名]墨俣町墨俣

現墨俣町域は長良川右岸に位置し、天正一四年(一五八六)頃以前は木曾川もこの地で合流し、加えて中世には鎌倉街道、江戸時代には美濃路の宿駅として水陸両面の交通の要衝であった。長良川には古代から墨俣の渡の存在が知られ、嘉禎四年(一二三八)の将軍藤原頼経の上洛の際には当地の浮橋(船橋)が利用された(「吾妻鏡」同年二月九日条など)。船橋は江戸時代においても将軍・朝鮮使節の通行に使用された。文明一五年(一四八三)には将軍足利義政の東山ひがしやま山荘(現在の京都銀閣寺)造営のため木曾川から墨俣湊に材木一六〇丁が陸揚げされている(同年一二月二一日「市川宗徒材木注文案」蜷川文書、「岐阜県林業史」)。室町後期までの当宿は現町域南部の上宿かみじゆく下宿の鎌倉街道沿いにあったと推定されるが、度重なる洪水浸水で通行に支障をきたすとして、長享元年(一四八七)美濃守護代斎藤利藤によって北部の墨俣の地に移転され(墨俣町史)、渡しや湊も付随して移ったと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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