江戸後期の俳人。姓は井上,名は正春。別号は支朗,松翁,枇杷園,朱樹叟など。尾張国守山の人。名古屋の町医井上家を継ぎ,専庵を名のり,産科医として有名であった。国学を本居宣長に,平曲を荻野検校に,絵画を長崎の范古に学び,漢学にもくわしく,幅の広い知識人であった。俳諧は名古屋の暁台(きようたい)に学び,同門の筆頭と目され,他門からも長者として重んじられ,一般の人々の間でも名高く,当時の俗謡にも〈尾張名古屋は士朗(城)で持つ〉とうたわれた。1774年(安永3)師の暁台とともに京都に上って蕪村一派と交わり,90年(寛政2)には暁台に従って二条家の俳諧に列席するなど,師の信頼を得ていたが,俳壇に野心を持つことはなく,師の没後,暮雨巷の称号を同門の臥央(がおう)にゆずった。しかし俳壇での評判は高く,諸国から訪ねてくるものが絶えなかったという。大らかで,人好きのする性格で,作風も平明温雅であった。数多い編著は《枇杷園七部集》《士朗五七集》にまとめられ,ほかに《枇杷園随筆》《枇杷園句集》などがある。〈たうたうと滝の落ちこむ茂りかな〉(《枇杷園句集》)。
執筆者:山下 一海
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
江戸後期の俳人。姓は井上。本名正春。初号支朗。別号枇杷園(びわえん)、朱樹叟(しゅじゅそう)。尾張国(おわりのくに)(愛知県)守山生まれ。名古屋の町医者の井上家を継ぎ、産科医として評判が高かった。国学を本居宣長(もとおりのりなが)に学び、ほかにも漢学、絵画、平曲をよくした。俳諧(はいかい)は暁台(きょうたい)に学び、その門の筆頭として重んじられて、他派にもよく知られ、江戸の道彦(みちひこ)、京都の月居(げっきょ)と並んで寛政(かんせい)の三大家とよばれた。文化(ぶんか)9年5月16日没。俳風は温雅平明で、とくに連句を得意とした。数多い編著は『枇杷園七部集』全5編にまとめられている。文集に『枇杷園随筆』、句集に『枇杷園句集』『枇杷園句集後編』がある。
足軽のかたまつて行くさむさかな
[山下一海]
「井上士朗」のページをご覧ください。
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〘 名詞 〙 春の季節がもうすぐそこまで来ていること。《 季語・冬 》 〔俳諧・俳諧四季部類(1780)〕[初出の実例]「盆栽の橙黄なり春隣〈守水老〉」(出典:春夏秋冬‐冬(1903)〈河東碧梧桐・高...
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