改訂新版 世界大百科事典 「壬戌民乱」の意味・わかりやすい解説
壬戌民乱 (じんじゅつみんらん)
朝鮮,李朝末期の民衆反乱。1862年(干支は壬戌)2月の慶尚道晋州の民衆反乱に始まり,同年11月にかけて朝鮮南部(慶尚,全羅,忠清各道)の各地で相次いだ農民を主体とする反乱。晋州民乱ともいう。発生期の東学の活動時期・地域とほぼ重なり,翌年には大院君政権が成立するなど,朝鮮近代の開始期に起きた民衆反乱として重視されている。反乱の直接的原因は地方長官や吏属のかってな不当収奪(重税)にあり,地方の新興勢力(富民など)が反乱を指導した場合もみられるが,多くの民乱(当時の官側の用語であるが,朝鮮では歴史名辞化している)は地方の役人たちに対してだけでなく,新興勢力を含む地方の有力者(地主,富民など)をも襲撃の対象とした。晋州民乱はその典型であり,農村に滞留し賃労働などで生活を維持している貧民階層(半プロレタリア)が民乱の中心勢力となっていた。下層民衆が半プロレタリア化し,かつ,反乱の指導勢力として登場する歴史的段階の到来を示すものとして注目される。
執筆者:矢沢 康祐
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