壱志濃王(読み)いちしのおう

朝日日本歴史人物事典「壱志濃王」の解説

壱志濃王

没年延暦24.11.12(805.12.6)
生年:天平5(733)
奈良時代・平安初期の公卿。施基皇子。湯原親王の第2子。宝亀2(771)年内大臣藤原良継の弔使となったのを皮切りに,もと光仁天皇皇后だった井上内親王の改葬,光仁天皇の改葬地の選定,早良親王の廃太子を田原(施基)山陵に奉告,桓武天皇夫人藤原旅子の喪事の監護など,朝廷の葬儀関係に活躍しているのが特徴。平安遷都(794)に際しても遷都を賀茂大神(京都市北区の上賀茂神社,左京区の下鴨神社),伊勢大神宮に奉告する(それぞれ793年2月,翌3月)使者となっている。延暦17年正三位大納言で弾正尹を兼任。薨伝によれば磊落な性格で,従兄の桓武天皇とは気の置けない間柄であったという。

(村井康彦)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus「壱志濃王」の解説

壱志濃王 いちしのおう

733-805 奈良-平安時代前期の公卿(くぎょう)。
天平(てんぴょう)5年生まれ。施基(しきの)皇子の孫。湯原親王の次男。延暦(えんりゃく)元年光仁天皇の改葬地の選定にくわわる。6年参議,12年平安遷都を賀茂大神,伊勢大神宮につげる使いとなり,13年中納言,17年大納言にのぼる。従兄(いとこ)の桓武(かんむ)天皇に寵愛(ちょうあい)された。延暦24年11月12日死去。73歳。従二位を追贈された。

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