朝日日本歴史人物事典 「壱志濃王」の解説
壱志濃王
生年:天平5(733)
奈良時代・平安初期の公卿。施基皇子の孫。湯原親王の第2子。宝亀2(771)年内大臣藤原良継の弔使となったのを皮切りに,もと光仁天皇皇后だった井上内親王の改葬,光仁天皇の改葬地の選定,早良親王の廃太子を田原(施基)山陵に奉告,桓武天皇夫人藤原旅子の喪事の監護など,朝廷の葬儀関係に活躍しているのが特徴。平安遷都(794)に際しても遷都を賀茂大神(京都市北区の上賀茂神社,左京区の下鴨神社),伊勢大神宮に奉告する(それぞれ793年2月,翌3月)使者となっている。延暦17年正三位大納言で弾正尹を兼任。薨伝によれば磊落な性格で,従兄の桓武天皇とは気の置けない間柄であったという。
(村井康彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報