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陸贄 りくしLu Zhi; Lu Chih

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

陸贄
りくし
Lu Zhi; Lu Chih

[生]天宝13(754)
[没]永貞1(805)
中国,唐中期の名相。蘇州嘉興 (浙江省嘉興市) の人。字は敬輿。 18歳で進士に合格。地方官を歴任し,徳宗によって中央に召され,建中4 (783) 年の朱しの乱討伐には大いに活躍し,彼が草案をつくった詔勅は将兵を奮い立たせたという。側近として権勢をふるい,重要な国事の裁決の可否に介入し,内相といわれた。貞元8 (792) 年宰相となり,暗愚な徳宗をしばしばいさめたが,讒 (ざん) にあって忠州 (広東省定安県) に流された。そこで流行病に悩む人々のために『陸氏集験方』 (50巻) を著わした。永貞1 (805) 年順宗が即位して許されたが,病没。上奏文などをまとめた『陸宣公全集』 (24巻) は,代研究の貴重な文献。

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世界大百科事典 第2版の解説

りくし【陸贄 Lù Zhì】

754‐805
中国,唐の官僚。徳宗の政治顧問。字は敬輿。蘇州嘉興県(浙江省嘉興県)の人。18歳で進士に及第し地方官を歴任したが,780年(建中1)徳宗の翰林学士となって難局に当たった。当時河北,河南の各藩鎮は同盟して唐朝と兵を交じえ,関中でも朱沘(しゆし)・李懐光の乱が起こって,徳宗は2度にわたって長安を脱出,避難をよぎなくされた。陸贄はつねに帝の左右にあって詔勅の起草,政策の立案に当たり,実質上宰相の役割を果たしたので,内相と称された。

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世界大百科事典内の陸贄の言及

【中国文学】より

…韓愈の門人たちは,彼のスタイルの強い影響を受けたが,晩唐ではなお四六文の勢力が強かった。しかし陸贄(りくし)のごとく古文の発想で四六文を書いた作家がある。李商隠は四六文の名家でもあった。…

※「陸贄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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