改訂新版 世界大百科事典 「陸贄」の意味・わかりやすい解説
陸贄 (りくし)
Lù Zhì
生没年:754-805
中国,唐の官僚。徳宗の政治顧問。字は敬輿。蘇州嘉興県(浙江省嘉興県)の人。18歳で進士に及第し地方官を歴任したが,780年(建中1)徳宗の翰林学士となって難局に当たった。当時河北,河南の各藩鎮は同盟して唐朝と兵を交じえ,関中でも朱沘(しゆし)・李懐光の乱が起こって,徳宗は2度にわたって長安を脱出,避難をよぎなくされた。陸贄はつねに帝の左右にあって詔勅の起草,政策の立案に当たり,実質上宰相の役割を果たしたので,内相と称された。財政収入の増加のみを事とする盧杞(ろき),裴延齢(はいえんれい)ら聚斂(しゆうれん)の臣を君側から除き,租庸調法の精神にもとづいて両税法の弊害を是正し,貞観の風にならってひろく諫言(かんげん)の道を開き,また己を罪するの詔を発して兵民を慰撫するなどの建言を行って政局収拾につとめた。792年(貞元8)には同中書門下平章事となったが,795年裴延齢らに讒言(ざんげん)されて忠州(四川省忠県)別駕に左遷され,同地に没した。諡(おくりな)を宣といい,その草した詔勅や奏議は,《陸宣公翰苑集》(《陸宣公奏議》)24巻に収める。
執筆者:谷川 道雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報