日本歴史地名大系 「外城村」の解説 外城村とじようむら 兵庫県:伊丹市伊丹郷町外城村[現在地名]伊丹市伊丹四―五丁目・行基町(ぎようきちよう)四丁目・鈴原町(すずはらちよう)一丁目・西台(にしだい)三―四丁目・梅(うめ)ノ木(き)一丁目・同三丁目・同五丁目・平松(ひらまつ)一丁目・同三―四丁目・南本町(みなみほんまち)一―二丁目・同六丁目伊丹郷町を形成する一五ヵ村の一村。伊丹町南町の南に位置し、大坂道に沿う。村内に駅所があった(天保一五年「郷町分間絵図」武田家蔵)。文禄伊丹之図に村名がみえる。初め幕府領、寛文元年(一六六一)から近衛家領、延宝三年(一六七五)幕府領、元禄五年(一六九二)柳沢吉保(同七年から武蔵川越藩主)領となり、以降の領主の変遷は北少路(きたしようじ)村に同じ(伊丹市史)。 外城村とじようむら 新潟県:北蒲原郡水原町外城村[現在地名]水原町外城町水原村の東、中島(なかじま)村の北東に位置する。村名は古くから水原城の東部一帯を外城と称したことにちなむ。近世初期、新発田藩溝口氏の家臣で、水原城代を勤めた永井源助が、弥兵衛ら三名と荒地を開発して開村と伝え(「合村願」北方文化博物館蔵)、正保国絵図には新発田藩領として村名が載る。貞享元年(一六八四)に検地が行われ、名主は下条(げじよう)村名主三五郎が兼帯した(合村願)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by