外岡茂十郎(読み)トノオカモジュウロウ

デジタル大辞泉 「外岡茂十郎」の意味・読み・例文・類語

とのおか‐もじゅうろう〔とのをかモジフラウ〕【外岡茂十郎】

[1898~1986]法学者・野球指導者。静岡の生まれ。民法研究のかたわら、昭和17年(1942)から22年間早大野球部長。ほかに六大学野球連盟理事長を務め、戦時下および戦後の学生野球の維持復活尽力。のち日本学生野球協会設立した。

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20世紀日本人名事典 「外岡茂十郎」の解説

外岡 茂十郎
トノオカ モジュウロウ

昭和期の法学者,野球指導者 早稲田大学名誉教授;全日本大学野球連盟顧問;元・早稲田大学野球部長。



生年
明治31(1898)年3月25日

没年
昭和61(1986)年8月27日

出身地
静岡県下田市

学歴〔年〕
早稲田大学専門部法科〔大正8年〕卒

学位〔年〕
法学博士

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和41年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和45年〕,日本学士院賞(昭49年度)「明治前期家族法資料」

経歴
大正14年早稲田大学法学部教授となり、昭和17〜39年同大学野球部長を務めた。21〜48年日本学生野球協会副会長、39〜49年全日本大学野球連盟会長などを歴任。21年の日本学生野球協会設立と25年の学生野球憲章作成に携わった。学生野球の発展育成に努め、57年野球殿堂入り。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「外岡茂十郎」の解説

外岡茂十郎 とのおか-もじゅうろう

1898-1986 昭和時代の法学者,野球指導者。
明治31年3月25日生まれ。大正14年早大教授。昭和17-39年同大野球部長をつとめ,18年出陣学徒の早慶戦を実現させる。戦後,日本学生野球協会の設立,学生野球憲章の作成につくし,全日本大学野球連盟理事長をつとめた。49年「明治前期家族法資料」で学士院賞。57年野球殿堂入り。昭和61年8月27日死去。88歳。静岡県出身。早大卒。

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