外畑村(読み)そとはたむら

日本歴史地名大系 「外畑村」の解説

外畑村
そとはたむら

[現在地名]大津市石山外畑町いしやまそとはたちよう

内畑うちはた村の南に広がる山村で、集落はもと西流する瀬田せた川沿いの低地にあったが、昭和三九年(一九六四)あまダムの造成により水没、現在地に移転。対岸曾束そつか村との間に曾束渡があった。中世は畑郷として推移するが、永禄一一年(一五六八)六月の行樹院知行田畠地子目録(三宝院文書)石山の内として「外ノ畑」とみえ、江戸期の外畑村につながる集落がすでに営まれていた。同目録によると大豆六斗を課されていた。寛永石高帳・慶安高辻帳では畑村として記載。元禄郷帳には村名がみえ、高九七石余。天明村高帳では一四八石余。


外畑村
とのはたむら

[現在地名]西京区大原野おおはらの外畑町

出灰いずりは川最上流、小塩おしお山西麓の小盆地に位置。北を丹波国境、東を大原野村に、南を寺戸てらどほか七村の入会地に、西を丹波国境に接する。丹波側(現大阪府高槻市)中畑なかはたの集落があり、それに対する外畑であろう。村名は中世以前には見当たらない。

享保一四年(一七二九)の山城国高八郡村名帳では村高一五八・七石余、うち約一四石が禁裏御料、残りを北小路信濃守・羽倉和泉守・松室伊賀守・細川出雲守・安田下野守・岩橋美濃守・吉田隠岐守・赤塚土佐守の諸大夫八家がほぼ一八石ずつ等分して知行していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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